2011年4月3日日曜日

二度の大震災に耐えた72個の藍甕

 今日は、益子町の染織「日下田藍染工房」を訪ねたことを載せたいと思います。「下野・会津・津軽 手仕事専科」の工房でもあり、月の代金支払もあって訪ねました。今回の東日本大震災(東北関東大震災)の影響は、別の「益子焼しのはらの花器」紹介のブログで載せましたが、近代では史上最大の被害をもたらしました。陶器という商品や登り窯という設備が、地震に弱いことによりますが、棚から商品が落ちるといった地震経験は、益子ではついぞなかったといいます。

 さいわいにも「日下田藍染工房」では、殆ど被害がなかったと聞きました。とても嬉しいことですが、それでも一番大切な「72個の藍甕」から、藍がこぼれて、土間に流れ出たといいます。その跡を奥様から見せていただきましたが、日下田正さんによると「今回の地震で甕が割れるようなことがあったら、もう仕事を続けることが出来なかったでしょう。」と仰っておられました。このような大きな確りとした甕は、もう日本では作られていないそうです。

 おなじことが、先代の日下田博さんも仰っておられたといいます。先の大正12年9月1日の関東大震災のおりにも’ドン’という音とともに藍甕の藍が甕から飛び出たといいます。てっきり甕が割れたとおもい悲嘆で一週間近く寝込んだということでしたが、幸いにも割れていなかったといいます。
 一般農家の土間もおなじですが、叩きという関東ローム層の赤土で甕を包み叩いて固めた構造だそうですが、それが、ほど良い堅さと緩衝の役割をはたしているのでしょうか。堅すぎず、藍甕の土間全体が一緒にゆれる構造でもあり、地盤と一体になっているのが、強さの所以なのだろうと思います。きょうのタイトルは、「二度の大震災にたえた72個の藍甕」としました。

 日下田正さんご夫妻ともいろいろとお話を伺い、仕事風景を写真に納めてまいりました。
●画像をクリックすると拡大します。
二度の大震災に耐えた72個の藍甕。
8個×9列に整然と並んでいます。
綿糸を幾度も藍で染めて、天井に吊るして
乾かします。
冬季間は、藍甕を大鋸屑を炊いて、甕の藍を
温めるのですが、その煙で燻された天井です。
この御影石の上で、完成した布地を
小槌で叩きます。
藍染の木綿の光沢が増し、柔らかく馴染ます。
日下田正さんです。
忙しい中、仕事を止めてお話をしていただきました。
これは、糸を紡ぐ作業ですが、羊毛を紡ぐ道具(機械)を
つかって、紡いでおられました。
    
染めた綿から、糸を紡いでいるところです。
手作業で、随分と時間をかけて紡ぐことになります。
手紡ぎ・手織りによる反物を織っているところです。
随分と幅広で、洋服の生地になるのでしょうか。
特別注文の制作です。
 
これらの紋様は、染織「日下田藍染工房」の藍染工程で、
説明しておりますが、木綿の無地に「伊勢型紙」で呉汁を載せて
天日乾燥しているものです。
呉汁で、染まらない部分が、抜かれて染まることになります。
藍染は、いくどもの職人による工程を経て、作られます。

「麻の紋様」です。
古来から麻は、「神宮大麻」といわれ、
神事には、欠かせないもので、破魔の力を持つものです。
「精練」作業で天日乾燥されている、木綿製品です。
これから、幾工程も経て藍に染められてゆきます。
天日乾燥中の精練された「木綿の製品」を手に
説明をされている奥様の日下田紫津子さん。
「精練」とは、木綿製品を洗って’ゴミ、糊’などを
洗い落とす作業で、
その後の藍が、染めやすくする工程だそうです。
日下田家に伺うといつも感心するのは、
この大きな欅の木です。
作業棟の直ぐ後ろに7~8本はあるでしょうか。
日下田家は、江戸時代から続く紺屋であって、
これでも比較的近代になってから植えられたものとは、
思うのですが。
日下田藍染工房は、時間と空気がことなる世界です。
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