2021年2月24日水曜日

会津木綿からつくる座布団.富士商店Vol001

手仕事専科では、山田木綿織元の会津木綿を扱っています。会津木綿は、豊田自動織機から織られたます。明治35年の頃の会津には、機やが30数軒ならんでいました。会津木綿の創成期です。しかし、今では2軒ほどを残して全て廃業となりました。山田木綿織元は、根っからの機やですが、会津木綿のその生き残るコツは、趣味の民藝になります。木綿の規格的質からは近代的自動化された、織幅を1m~2mもで出来る工業的木綿にはとてもかないません。あくまでも明治期に栄えた豊田自動織機からの着尺の木綿布です。

先にご紹介した205番の辛し色のクッション版では、横糸の差し替えの時に織圧がことなり、布の色味が濃淡がでてしまい、斑が出来るお話をしました。お客様は風合いですねと喜んでおられましたが、今日ご紹介する座布団は、鰹縞の座布団です。当サイト手仕事専科の座布団は、浴衣を裁縫される富士商店で作っています。プロの方が作っていますので、縫製はしっかりしています。私にとって、職人さんが信頼に応えてくれることが一番大切な要素になります。出鱈目な商品を作り、気にもかけない方は、職人とは言えません。職人の一番大切なことは良いものを作るという拘りです。趣味の手仕事とプロの手仕事の違いです。写真でご紹介いたします。            

富士商店の若女将です。
安心してお任せしています。
今回の鰹縞の座布団
下が鰹縞532番
上が大柄の鰹縞611番

ファスナー
こちらが縫い目ですが、コツがあります。
鰹縞は、古くからの縞柄です。
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 伝統的食品のブログ



2021年2月17日水曜日

風合いの会津木綿からつくるマフラー.山田木綿織元Vol002

会津木綿は、人気商品です。現在の手仕事専科の取り扱いは、山田木綿織元になります。お取引が始まって、7、8年になるでしょう。スタート時は、原山染工場でしたが、東日本大震災後の福島原発の放射能汚染から、観光客が激減しました。会津木綿自体が観光で成り立つ商品でした。会津若松に来られたお客様がお土産として求められていたのです。「趣味の民藝」会津木綿の言葉が似あいます。当主の原山公介氏は本当に孤軍奮闘しておられましたが、40代の後半で亡くなられました。その後、廃業されて、直ぐには再興されずに空白の時間がありました。山田木綿織元の山田悦史さんとのお付き合いとなりました。会津商人は、愚直なほどに丁寧に商慣習で商いをされます。会津戎の掟があります。まさにその商品魂をみます。

私はその縞と無地の柄を気にっています。そのごわごわ感が堪りません。私の好みに手作りのマフラーがあります。2mの切売りから、一つ作ることが出来ます。使うほどにごわごわ感が柔らかくなり、普段使いに楽しいアイテムです。[二日で出来るストール作り]

・湯通し     お湯でもみ洗い・日陰干し      1日工程

・切取      お好みの長さに

         本体の長さ+フリンジの長さ

         ストール  180cm+7cm×2(両端)

・フリンジ    フリンジは、括ると6cmになります。 1日工程

 終了                     計  2日

つくる楽しみを知った私の嬉々とした姿をご紹介できないのが残念です。

山田木綿織元  http://tesigotosenka.com/yamajyuaidumomen.html

富士商店    http://tesigotosenka.com/hujisyouten.html

手仕事専科   http://tesigotosenka.com

マフラー会津木綿品番№574
反物 縞574 
1反 ¥9,000
 
丈12m×37cm
     ■商品コードA-23574■
   
  ▶注文(メール)
湯通しをした後は、
端は、このような状態になっています。
太めの針で、一本一本横糸を
解します。
これもコツがあり、
慣れると簡単に横糸を外すことが出来ます。
手仕事の本質
「創意工夫」と「手際の慣れ」を
覚りました。
フリンジに括る幅ですが、
横幅35cmですので、
10mm幅で35本となります。
8mm幅で44本です。
本数が、35本位ですと存在感
45本位ですと薄い印象となります。
本数は、お好みです。
完成形 ストール(マフラー)
会津木綿品番№574

下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 伝統的食品のブログ


2021年2月16日火曜日

風合いの会津木綿からつくる座布団.山田木綿織元Vol001

最近、会津木綿の愛好家の方から、座布団の御注文を頂戴しました。当初は、会津木綿221番の浅緑の布地でしたが、今回は会津木綿205番の辛色でした。山田木綿205番は在庫にありましたので、1週間ほどで仕上がりました。辛色は昔から伝わる色ですが、私の世代には人気の色味です。座布団クッション版(□45cm)です。
山田木綿織元の無地205番
座布団クッション版
会津木綿は幅37.5cmの木綿地ですので、
45cmの幅ですと真中で縫い繋ぐことに
なります。
今回体験したことに豊田自動織機で織る会津木綿の特徴が少しわかりました。縫製してくれた富士商店さんからの話でしたが、今回の辛色の布地は、縦50cm位毎に色味が濃く変わっているというのです。会津木綿は染糸から織り上げますので、染の糸が異なることはない筈と思います。そうすると織の段階で何らかの違いがでるのでしょうか。今朝ほど、山田木綿織元の山田社長にお電話で確認いたしました。すると「横糸を継ぎ足すときに織圧が変わるからです。」というのです。「黒や紺ではその色味の違いは分からないのですが、淡い色味ではそれが出てしまう。」と言います。
そのお話から、お客様にその事情をお話ししましたら、古い織機で織り上げることから「風合い」ですねと、笑って居られました。
「会津木綿の風合い」です。
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ



2021年2月12日金曜日

宮染「手ぬぐい」にみる江戸の縁起もの.中川染工場Vol002

 宮染というと知る人ぞ知る宇都宮に伝わる伝統工芸品です。江戸末期の頃、真岡木綿(現在の真岡市で織られた木綿地)が盛んになり、その木綿地を染めるために宇都宮市内を流れる田川沿いに染物職人が集まり袢纏等を染めるようになったのが始まりです。その後、大正期になり、注染(ちゅうせん)という技法が生まれ浴衣や手拭いを一枚ずつ丁寧に染め上げてゆくようになりました。宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物を総称して「宮染・みやぞめ」と名付けられたのです。市内を流れる田川は、常に水量が豊富な河川ですが、流れも穏やかっで、嘗て染物を洗うには適していたものと思います。手仕事専科でご紹介している「宮染(注染)」は、中川染工場ですが、現在では、地下水を汲み上げて水洗いをしていますが、直ぐ田川の堤防沿いに工場があり、すぐ裏手になります。もう一つの印半纏福井染工場もすぐ脇を田川が流れています。

前から気になっていた宮染「注染」中川染工場のhpのメンテナンスですが、今回の「御朱印帳」の表紙用のグラデーションの御注文から、重たい腰を上げて取り掛かりました。江戸時代の末期に始まる宮染ですが、当初は印半纏などの染だったと聞きますが、その後に手ぬぐいや江戸着物の染となり、江戸小紋などは、こちらの宮染が納めていたようです。古い歴史を持つ手ぬぐいが、大正期になって注染の技法が発明されて、宮染の繁盛に繋がったようです。今日は、その縁起に繋がる柄の手ぬぐい「小柄手ぬぐい」をご紹介いたします。

良き事聞く
良き事聞くは、斧(よき=小斧・手斧)・琴(こと)・菊(きく)です。
豆絞り 黄色
豆絞りを良く見ると、不揃いの豆粒が、縦に正しく繋がって並んでいます。それは、子孫が途切れずに何世代も繋がっていきますようにと、子孫繁栄の切なる願いがこもっているのです。
うろこ(鱗)青
うろこ文様は三角形が交互に入れ替わって、互いに地と模様の部分を構成する幾何学的な模様です。古い時代の能装束の唐織の地紋にも多く、江戸時代には厄除けの文様とされました。うろこ模様は蛇や蝶を連想して、脱皮を表し、厄を落とし再生するという意味があります。
たてわく 紫
立涌(たてわく)とは、波状の線を膨らんだりすぼまったりするように向かい合わせた連続模様で有職文様(ゆうそくもんよう)にも用いられています。膨らんだ中に、菊、雲、波などを入れて、それぞれ菊立涌、雲立涌、波立涌などと呼ばれています。たちわき、たてわきとも読みます。  
かまわぬ 紺
歌舞伎役者の七代目市川団十郎が愛用した図柄で、歌舞伎の衣装にこの柄を使いました。「判じ物」と呼ばれる模様で「構わぬ」を絵文字に表したものです。
唐草模様 赤
昔、シルクロード経由で奈良時代に渡来した伝統的なデザイン。単純な上にどこまでも連続した模様が縁起良いと言われる柄です。つる草は生命力が強く、茎をどこまでも伸ばしてゆくところから、長寿や子孫繁栄の象徴とされています。唐草模様は江戸時代から明治にかけて、一番流行した柄です。
くまどり 黒と赤
隈取の名の由来は、日本画の技法用語から転用されたと云われています。
端からぼかしていく描法に使う筆を隈筆と云い、歌舞伎の場合も筋肉の隆起を鮮烈にするためにぼかしを施すということです。

下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2021年2月11日木曜日

二枚歯と草履型の違い。日光下駄山本政史Vol001

実は、福岡のお客様から日光下駄のご注文を頂戴しておりますが、草履型二枚歯か迷って居られました。そんなことから、山本政史さんにご相談いたしましたが、次の回答を頂戴しました。

1.二枚歯は、履く所が限られます。雨天時に履くことになりますが、足周りの悪い箇所では、履きがってが良くありません。同時に歯の接地面が桐材ですので、タイルなどの滑りやすい所は、難しく音もたちます。

2.その点、草履型はゴムを底全体に貼ってあるので、滑ることもないし、弾力クッションも効いて、履きやすい。当然滑ることもありません。普段使いから、一寸したお洒落な場所でも十分通用する下駄になります。着物にはもちろんですが、ジーンズや洋装にも似合ってお洒落です。草履型は、随分と多用途に履けるので、重宝です。その点、二枚歯は限られてしまいます。初めての日光下駄は、草履型がお勧めです。

二枚歯 焼き 印伝鼻緒 染竹皮

草履型 焼き 青系の木綿鼻緒 生成り竹皮
草履型 焼き 赤系の鼻緒 生成り竹皮
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2021年2月10日水曜日

宮染手ぬぐいで作る「御朱印帳」.中川染工場Vol001

今日は楽しいお話です。
御朱印帳をご存じでしょうか、メールで宮染グラデーションの手ぬぐいのお問合せでした。宮染でもグラデーションの小柄手ぬぐいは、それ程種類は多く無いのですが、尋ねると御朱印帳をつくられていると言います。宮染めの「寿づくし」1枚からB-5サイズの御朱印帳が一冊作れるようです。下の写真がそうです。
素敵ですね。
御朱印帳 青の寿づくし
              
宮染は、江戸時代後期に始まる宇都宮の伝統工芸品です。江戸末期の頃、真岡木綿(現在の真岡市で織られた木綿地)が盛んになり、その木綿地を染めるために宇都宮市内を流れる田川沿いに染物職人が集まり袢纏等を染めるようになったのが始まりです。
その後、明治に移り、注染(ちゅうせん)という技法が生まれ浴衣や手拭いを一枚ずつ丁寧に染め上げてゆくようになりました。 
宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物を総称して「宮染・みやぞめ」と名付けられたのです。注染という技法自体は、明治期に発明されていますが、現代のシルク印刷等のプリント技術の開発により、手間暇がかかる注染は、だんだん使われなくなりつつあります。それでも、その風合いを愛でる方々が多く、その良さを知る人々に人気があります。プリントは洗うと段々に褪せてますが、片側だけですので、みっともない状態になりますが、注染は、裏表に色が通っていますので、色褪せてもそれが、かえって素敵な風合いとなります。それが人気の秘密です。宇都宮に残る工房は、3軒を残すのみとなりました。手ぬぐいと江戸浴衣の中川染工場印染(半纏)の福井染工場、です。ともに手仕事専科のお取扱いの工房です。
注染の染液を注いでいるところ。
折り返した12枚の小柄手ぬぐい
(35cm×90cm)に伊勢型紙を通して、
色を吸引して染めます。
かなりの熟練度を要するようです。
注染の反物を洗い干します。
かなり高い物干し台から吊るされ、
中川染工場の風物詩です。

これらが、帯で巻いた
小柄手ぬぐいです。
豆絞り
しかし、豆絞りを良く見ると、
豆絞りという手拭の代表的な柄は、
一見すると、西洋柄の水玉模様ドットに見えます。
不揃いの豆粒が、縦に正しく繋がって並んでいます。
それは、子孫が途切れずに何世代も
繋がっていきますようにと、
子孫繁栄の切なる願いがこもっているのです。
唐草模様
昔、シルクロード経由で奈良時代に渡来した伝統的なデザイン。
単純な上にどこまでも連続した模様が縁起良いと言われる柄です。
つる草は生命力が強く、
茎をどこまでも伸ばしてゆくところから
、長寿や子孫繁栄の象徴とされています。
唐草模様は江戸時代から明治にかけて、
一番流行した柄です。

江戸時代には厄除けの文様とされました。
うろこ模様は蛇や蝶を連想して、脱皮を表し、
厄を落とし再生するという意味があります。














下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

 

2021年2月3日水曜日

2/2(火)NHKBSイッピンから.宮本工芸Vol002

 昨日(2/2)NHKBSイッピン(PM7:30)の放映から、山ぶどう皮網代編手提巻手の御注文が続いています。さすがにメディアの力ですね。2011年秋のNHKBS「美の壺」では、凄い反響がありました。今回は、それ程ではありませんが、手仕事専科宮本工芸の春先のご案内でしたので、タイムリーになります。山ぶどう皮やあけび蔓細工は、冬場よりも3シーズン向きの小道具(ギア)です。特に爽やかな風と青い空の下で大きめの手篭にお料理や飲み物を入れて、ピクニックや一寸した買い物に出かけるのは、楽しそうです。

山ぶどう皮、あけび蔓細工は、東北や信州などに古くから伝わる山間地や山里の伝統工芸です。あけび蔓細工が広く作られるようになったのは江戸時代後半からと言われます。しかし、始まりは縄文時代と言われるほど古い歴史があります。あけび蔓細工品は青森県郷土館の発掘調査の中で、弥生時代にその歴史の端を発することが分かりました。当時は、こだし編みのものが主流でしたが、平成6年に三内丸山遺跡の中で、新たにブドウ皮風のポシェット(網代編み)が発見されました。この発掘で縄文時代中期には、既にぶどう皮、あけび蔓細工品が使用されていたという事が明らかになりました。このブドウ皮ポシェットは紀元前4500年頃のものでほぼ完全に近い形で出土された事もあり、大変に重要な価値があるとされています。現在の産地としては青森県の津軽地方、秋田県の美郷町、山形県の月山など東北地方のほか、長野県の野沢温泉村が有名です。雪深いこれらの地域では、冬の農閑期に、あけびの蔓で細工品を作っていました。元々は農作業や食料品を収納する暮らしの道具でしたが、その美しさが訪れた人の間で評判となり、昭和30年代から50年代には、デパートや民芸品店でこぞって買い求められるになりました。しかし、高度成長期を経て、ビニールやプラスチック製品が世に出回ると衰退を余儀なくされ、伝統を受け継いだ工房や編み手は、今では貴重な存在となっています。昨日ご紹介された宮本工芸には、近在のりんご農家の年配の職人さんも沢山おられますが、若いこれからの職人さんも作られています。三上徳仁さんは、長年山ぶどう皮から、網代編手提巻手の手篭を作り続けられています。

幾つかの手篭をご紹介しますので、ご覧ください。

網代編手提巻手(2分幅
NHKBS美の壺で放映の頃(2011.11月)
三上徳仁
・薄型ほら編みリング手 中
妻胴張ホラ編リング手 (特小)


薄型ホラ編巻手(大)H24
妻胴張ホラ編(小) 
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ