2012年3月22日木曜日

南部古代型染元 蛭子屋「小野染彩所」を訪ねました。

盛岡手づくり村を見学した後に市内の3つの工房を訪ねました。その一つが、小野染彩所です。インターから、ごく近くにあって、街道沿いに店舗がありました。お会いした小野信明氏で17代と仰っておいででしたが、寛永5年(1628年)に山梨から、南部藩主とともに移られてからと言います。当然、当時から、染色を行っていたといいますが、すごい歴史です。
下野・会津・津軽 手仕事専科津軽地方には、二唐家(二唐鍛造所)という刀鍛冶や会津地方にもイゲタ醤油(林合名会社)がありますが、伝統の力とそれを継続する力と何れも同じく品格があります。何れも藩の筆頭となる地位で、勤めをはたしていた家柄です。小野染彩所さんにも、同じように品格を感じました。かつて、学生の折に京都に2カ月ほど滞在したことがありますが、怖いものを感じました。何か知れませんが、ひじょうに怖いところです。
小野信明さんとは、いろいろとお話をすることが出来ました。益子にある日下田藍染工房宮染の中川染物工場では、型は、伊勢型紙によりますが、こちらの古代型という型紙は、すべて手前で作ります。柿渋を施した和紙に描きカットするといいます。手仕事専科で、お取引が出来ると良いと思いました。店内と歴史展示品を写真に納めてまいりましたので、ご覧ください。
 《東洋・西洋染色品資料館》

(南部氏の歴史)
甲斐国(現在の山梨県)に栄えた甲斐源氏の流れを汲む南部氏は、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の青森県八戸に上陸し、現在の青森県南部町相内地区に宿をとった。その後、奥州南部家の最初の城である平良崎城(現在の南部町立南部中学校旧校舎跡地)を築いた。後に現在の青森県三戸町に三戸城を築城し移転している(現在、城跡は城山公園となっている)。
天正18年(1590年)、南部信直が豊臣秀吉の小田原攻めに参陣し、所領の安堵状と朱印状を得て10ヶ郡(岩手・稗貫・和賀・紫波・鹿角・北・二戸・閉伊・九戸・三戸)におよぶ版図が確立し、慶長5年(1600年)には徳川家康からも安堵を受け、表高(軍役高)10万石の大名として認められた。

下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。

株式会社とぴい企画
080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp