2011年8月18日木曜日

私的に「焼締めの器」津軽金山焼のお薦め!

 「下野・会津・津軽 手仕事専科」には、「津軽金山焼」があるとのですが、私の尊敬する松宮亮二さんが、運営されています。松宮さんは、焼物の作家であることはもちろんですが、その工房そしてそこに働く方々が皆輝いておりすばらしい世界を作られています。


 私は、長年ホテルの開発から運営そして人の教育に携わってまいりましたが、それなりの苦労と難しさを体験いたしました。自分自身の人間力が問われてまいりますが、その能力や夢、ビジョンと言うものが、必要だと考えています。


 津軽金山焼が、今回の東日本大震災でも多くの支援活動をなされています。松宮さんと多くのスタッフの方々の想いがその活動に向かわせたものと思います。
 私も為す術を持ちませんが、少しでも津軽金山焼をご紹介出来ればと願っております。『焼締めの津軽金山焼」vol1~vol5まで、ブログにしましたが、今回は、私的にご利用いただく目的でご紹介いたします。


 「焼締め」というと備前が有名です。備前焼は、平安時代に作られた須恵器から発展し、鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれて、鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれるようになりました。当時の主力は水瓶や擂鉢など実用本位のものであり、「落としても壊れない」と評判が良く、この当時の作品は「古備前」と呼ばれ珍重されています。
 室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに茶陶としての人気が高まるが、江戸時代には茶道の衰退とともに衰えます(安価で大量生産が可能な磁器の登場も原因)。備前焼は再び水瓶や擂鉢、酒徳利など実用品の生産に戻っており、この当時のものは近郷の旧家にかなりの数が残されているといいます。
 明治・大正に入ってもその傾向は変わらなかったが、昭和に入り金重陶陽らが桃山陶への回帰をはかり芸術性を高めて人気を復興させました。陶陽はもちろんのこと弟子達の中からも人間国宝を輩出し、備前焼の人気は不動のものとなりました。


 備前焼はその歴史や美術的作品から、日本の焼物の第一人者と言えるでしょう。津軽金山焼は、歴史は全く異なりますが、須恵器として、焼締めの器であることやその風合いは、すばらしいものです。ぜひ、あなたの身の回りに置いてご利用いただければと存じます。「和美との生活」の第一歩として、津軽金山焼をお薦めいたします。


 
 
   

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