2014年2月24日月曜日

人気の漆器工房鈴武

漆器は、古くは縄文時代に遡ります。
わたしのホテル時代に青森県弘前市に単身赴任したのが、平成7年4月になります。
当時は、青森は遠い国でしたが、ちょうどその時に話題になっていたのが、三内丸山の縄文遺跡でした。
そこでは、美しい朱と黒の漆器が、出土しています。
他にも山ぶどう皮で編まれた網代編みのポシェットです。
いまから、20年近くも昔の話ですが、現在は、手仕事専科でそれらに端を発する手仕事に関わっています。
宮本工芸網代編手提巻手津軽塗会津塗漆器です。

----会津漆器協同組合連合会「会津塗・工程編」より----
会津の地に本格的に漆工芸が根付いたのは、天正18年(1590年)豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷公が産業として奨励したことによります。氏郷公は前の領地であった日野(滋賀県)から生地師や塗師を呼び寄せて先端技術を伝授させます。これによって会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ、漆の栽培から加飾までを一貫して手掛ける一大産地となっていったのです。
 江戸時代には会津藩の藩祖・保科正之公が漆の木の保護育成に努め、また、歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、中国、オランダなどへ輸出され、隆盛を迎えます。
 しかし、幕末の戊辰戦争において会津漆器は、壊滅的な打撃を受けてしまいました。が、明治の中期には、会津は日本有数の漆器産地としてその名を再び轟かせるに至っています。


わたしの手仕事専科のサイトでは、漆器工房鈴武の商品が人気です。
理由は、鈴木誠一郎氏が、意匠として創られた「布着」の商品にあります。従来の会津塗と蒔絵は、現代生活では、あまり使われなくなりました。
高級品ということもありますが、その光沢が、いまの生活には、馴染まないように感じます。
しかし、新しくそして、シンプルで古いものの良さを併せ持つ「布着」の意匠が、似合うようです。
もうひとつの人気の理由は、デパートでの催事販売によります。
鈴木誠一郎氏とは、年に幾度しかお会いできません。
それほどに忙しく、一年中を催事で飛び回っている印象があります。
そこでは、お客様との会話があり、漆器の良さをあますことなくお伝えされています。わたしのサイトでは、半分以上の方が、鈴木様のお話から、ご購入される方々です。

つい最近も嬉しいエピソードがありました。
10年以上前にご家族でブラジルに転勤されることになり、催事で鈴木誠一郎氏から、お話を伺いご家族5人の生活雑器として、何組かの漆器を求められました。
ちょうどいま、長年使ったそれらの磨り減った漆器を修理することになりました。
ご飯椀や汁椀として、重宝して使い、ずいぶんと傷んでいたようです。
お客様には、海外生活の大変さの詰まった思い出の漆器です。
それらのものは、いま、漆器工房鈴武様に届けられて、修理されていますが、工房でもそれらの嬉しいお話から、修理費用も勉強されました。
わたしも単身赴任が長く、転勤族の大変さを知ります。
長年大切に使われた想いに感謝したいと思います。

漆器工房鈴武は、作業風景を見ることができます。
すぐれた職人さんたちが、長年の技術をあますこなく見ることができます。
先日お伺いして、写真に撮ってまいりました。


布着のあとで、サンダーで研磨しています。
布着は、木地に晒しを貼り付けたものです。
補強材となることと同時に、デザイン(意匠)として、
面白さがあります。

布着の処理をしたものが並んでいます。
これに塗と研ぎの作業が続きます。
こちらは、下塗りをした漆を
研ぐさぎょうです。
この朱にさらに研いで塗って、研いでの
作業が繰り返されます。
 
工程ごとにそれぞれの職人の方々が、
関わります。
手際よく、素早く作業が続きます。
同じ作業の反復となります。

こちらも研ぎの作業ですが、砥石ではありません。
布に漆を染みこませて、繰り返し繰り返し
塗って研いでゆきます。

漆を塗って、寝かせる「室」です。
ゆっくりと時間をかけて乾かすための部屋です。

すばやい、手際よく塗と研ぎの作業が、
なされています。
座って長時間になりますので、大変に思います。
蒔絵の会津塗です。
最後の蒔絵の作業です。
手書きです。
プリントでも型によるものでもありません。
蒔絵をみると、手書きの風合いがわかります。
精巧なプリントとは、ことなります。

漆器工房鈴武のみなさんです。
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。
株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 伝統的食品のブログ