2014年1月24日金曜日

白河だるま市をひかえた佐川だるま製造所

昨日(1月23日)は、白河の友人を訪ねた脚で、手仕事専科の人気工房の佐川だるま製造所を訪ねました。
白河だるまは、縁起を松平定信にまで、さかのぼります。
「白河だるま」は1783年に白河藩主になった松平定信が、花市に縁起物のだるまを売り物とするために、だるまの絵付けをお抱え絵師・谷文晁(ぶんちょう)に描かせたと伝えられております。
「眉は鶴」「ひげは亀」「あごひげは竹」「耳ひげに松と梅」を図案化した「鶴亀松竹梅」が特徴の縁起だるまです。
白河だるまは「商売繁盛」「家内安全」「必勝だるま」として江戸時代より愛され続けています。
 白河市は、わたしの生まれ育った栃木県那須町から、すぐとなりの商業都市でした。
こどもこころには、大きな街で遠足で南湖公園(松平定信公の造成)やお城に伺いました。それは、おおきな歴史あふれる街でした。
いま訪れるとそのような歴史的な地名や小路が残っています。
写真で、だるま製造の方々を捉えました。
一心にだるまを描く美しい姿に感動を覚えます。











干支だるま 午
 
風水だるま 小豆 (8色)
      1個   ¥200
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----------松平定信公---------1758〜1829 (宝暦8年〜文政12年)
【老中】 田沼意次の後、寛政の改革を断行したが、わずか6年で失脚。            
白河藩主。徳川吉宗の孫。26歳で白河藩主となり、天明の飢饉では的確な藩政で餓死者を出さず、名君と讃えられた。田沼意次を失脚させ、1787年老中となり  十一代将軍家斉を補佐した。農村崩壊、財政破綻、外国船の接近など、問題山積の幕政打開のため、寛政の改革を行った。しかし、はじめは期待された改革もうまく機能せず、家斉と対立、老中を解任された。その後は藩内で文教政策を推進した。
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