2011年12月30日金曜日

会津本郷焼 資料展示室の紹介

下野・会津・津軽 手仕事専科では、4つの陶磁器の産地があります。益子焼、小砂焼、会津本郷焼そして、津軽金山焼です。この東北には他にも沢山の優れた産地や工房があるのですが、それぞれに特徴があり、また、縁のある焼き物を選ばせて頂きました。
前の稿で、窯の美里いわたてをご紹介しましたが、直ぐ隣にある「会津本郷焼資料展示室」をご紹介いたします。会津本郷焼のこの地は、2度の大火に見舞われその都度復活してきました。また、その歴史は、近代の歴史そのものでもあって、非常に感慨深く拝見して参りました。それぞれの産業の歴史には、技術革新ともいえる産業改革があって、躍進して行く時期もあり、また、それが隆盛を極めて粗製乱造になったり、他の商品に凌駕されて、沈滞して行く時期もあります。
当時の荷造りは、藁で編んだ縄を使っていた。
現代のような梱包技術は、まだなくて、大八車で
運んだろうと想像できます。
有名な「ニシン鉢」です。この大きさで
約100匹(10匹×10段)のニシンが、
漬けられました。
第1会ブリュッセル万国博覧会でしょうか、
出品した宗像窯の「にしん鉢」がグランプリを獲得しています。
【本郷焼の工程】が分り易く描かれています。
本郷焼の発展は、第一に良質な陶石と粘土の発見
にありました。本郷山、大久保山、陶石の原料です。
大久保山は、一山採掘でなくなりました。
また、掘った陶石や粘土は、背負い馬に積んで
運びました。
陶石は、水車で粉砕しました。大川から水を引き入れ、
当時は、沢山の水車が並んでおりました。
砕いた陶石や粘土は、水をまぜてかき混ぜ、
沈殿させられ袋に入れられ舟で絞り、精製しました。
土踏み、土練りは、重労働で汗まみれ裸でやっていました。
土練りは、体重をかけます。男力のみせどころ。
本郷の形造りは、手回しろくろによって造られました。
陶工の窓は、低い窓で、今も見られます。
手回しろくろを回しながら道具を使って仕上げます。
急須や土瓶のへそ抜き、茶こしのところをつくる作業。
道具で細かい穴をあけます。
急須口付け。
出来上がったものを野外や軒下に並べて乾燥
させます。
乾燥したものに絵描きさんが絵付け。
着色をします。
上釉掛け
これで出来上がり。あとは、焼くばかり。登り窯へ運ぶ。
盛時には、寄り合い窯をいれて、その数40基の窯
がありました。
豪快、白鳳山麓に並ぶ本郷登り窯。
会津本郷瀬戸市
会津の人々は、その年使うものをまとめて買うんです。
本郷の市を楽しんでから、会津高野山へ回って
新仏をおまいり。

昭和61年 画工 新謹画
大正時代の碍子製造(電線の繋ぎに使われる)の様子
大正時代の登り窯の風景
「白鳳山にのぼる左手のあたり」とおあります。
当時40基もの窯があったといいます。
大正時代の会津本郷の街並み。
今のこの窯の美里いわたてのあたりでしょうか。
銅版転写用紙
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