2021年1月28日木曜日

仏師朝倉二美氏のこと.手仕事専科Vol002

先日は、黒羽に朝倉二美さんを訪ねました。7、8年ぶりの出会いですが、暮らしの館で待ち合わせ、近くの蜂須小学校跡地にあるhikari no Caféでお話を伺いました。初めて彼と出会ってから、随分と月日が経ちます。当時木・工房ヒロさんから、朝倉二美さんを紹介いただきました。直ぐ近くの戸田にあるという工房を訪ねしましたが、仕事以外には関心がない風で、作業場には奥さんも依頼主の御寺のご住職も入れない徹底ぶりでした。緊張感が維持できないからと話していました。通販を行っている私のサイトで販売することは、お世話になっている御寺様に申し訳ないということで、ご紹介だけなら良いとなりました。彼の彫る仏像を見た訳ではなく、どの様なお顔の仏像なのかも分からずにいました。ただ、彼のwebsiteには、仏像の全体像が画像でご紹介されており、その端正な品のある姿に感動したのを覚えています。少しでも彼の制作のお役に立てればということで、仏師朝倉二美を作りました。

この度彼とお会いする前に彼の収めた仏像を拝見したく御寺さんを御紹介いただきました。近在では、二つの御寺にお納めしていると言います。ともに真言宗智山派の御寺でした。真言宗は、空海の弘法大師が広めた仏教です。高野山の密教として覚えています。ひとつは、大田原市湯津上の霊牛山威徳院極楽寺です。室町時代より天神宮、富士権現も管理しており二社一寺の形態ですが、ご本尊は虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)。朝倉仏師の大威徳明王、妙見菩薩等が安置されています。ともに大きな仏像でともに一木造りの仏像です。特に大威徳明王は、一木ですが、仏様の後ろの飾りも付け足したものではありません。牛は横広ですので、首のところだけは嵌め込んでいます。いずれにせよ、一木造りの素晴らしい仏像です。

妙見菩薩像
大威徳明王像
もうひとつは、大田原市の竜泉寺に4体が安置されています。竜泉寺は、城主大田原家の累代の祈願所として庇護され寺運が隆盛した寺院です。寺宝である「紙本著色大田原資清と一族の肖像画」は、江戸時代中期に絵師卯親子破傘翁(小川破傘)によって描かれたもので大田原市指定文化財に指定されています。朝倉仏師の仏像画像はご紹介できませんが、素敵なものでした。

彼の手法は、一木造りです。頭部から彫始めて行きます。
木彫仏像は、大きく一木造りと寄せ木造りとの2種類があると聞きます。寄木造りであれば、分業が出来るのですが、一木造りはひとりで彫あげることになります。したがって、完成までの時間が大きく異なります。
鎌倉時代の有名な仏像がありますが、工房の職人集団が作りました。
東大寺の主要伽藍焼失後に僅か2カ月で仏像を建立しています。
寄木造りだからでしょう。
(ここに有名な東大寺の仏像建立の運慶の著述があります。)
治承4年(1180年)の南都焼討で主要伽藍を焼失した東大寺復興造仏には、康慶を中心とする奈良仏師が携わっている。建久5年(1194年)から翌年にかけて、東大寺南中門二天像が造立されたが、このうち西方天担当の小仏師として「雲慶」の名が記録にみえる。建久7年(1196年)には康慶の主導で、快慶、定覚らとともに東大寺大仏の両脇侍像(如意輪観音、虚空蔵菩薩)と大仏殿四隅に安置する約14メートルに及ぶ四天王像の造立という大仕事に携わる。運慶は父康慶とともに虚空蔵菩薩像の大仏師を務め、四天王像のうち増長天の大仏師を担当している(『鈔本東大寺要録』『東大寺続要録』)。以上の諸像はその後建物とともに焼失して現存しない(快慶作金剛峯寺像、海住山寺像をはじめ大仏殿像の形式を模したといわれる四天王像が多く造られ、「大仏殿様四天王像」と称される)。現存するこの時期の作品としては建仁3年(1203年)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像がある。造高約8.5メートルに及ぶ巨像2躯は、1988年から1993年にかけて解体修理が実施された。その結果、阿形像の持物の金剛杵内面の墨書や吽形像の像内納入経巻の奥書から、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)の4名が大仏師となり、小仏師多数を率いてわずか2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられた。4人の大仏師の役割分担については諸説あるが、運慶が両像の制作の総指揮にあたったものと考えられている。この功績により、建仁3年(1203年)の東大寺総供養の際、運慶は僧綱の極位である法印に任ぜられた。これは奈良仏師系統の仏師として初めてのことであった。

彼の仏像は、1年から2年の期間で制作依頼を受けるといいますが、なかなかその期間では終わらないと言います。御寺様と取決めた制作金額は変わらないので期間が長くなると商売にならないと言います。制作集団に属さなければ、ひとり作業となります。寄木造りでも良いと思うのですが。一木造り制作に拘る彼の性格がそうさせるのかと思います。彼の話では、手の表情が一番難しいと言います。そういえば、ロダンの彫刻に手だけのものがありましたね。油絵の画家から手の表情が難しいというコメントはよく聞きます。手が習作の画題にもなるので彼の話も納得がゆきます。仏師という道は、運慶ではないですが、仏に使える身です。禊をして一刀一刀彫る作業です。巷の欲望からは一番遠くにいなければならないのかと思います。一木に仏の姿を造ることが喜びであり、真、美という芸術と善という仏の心とが叶う生業に思います。

私の長年の課題に「美」の普遍性があります。私は、ある画家が描く女性像が、好きではありません。その表情が心清く爽やかに見えないのです。ある時、知らない画家が描いた女性像が、穏やかでホッとする表情でいつまでも見ていたい飾って置きたいものでした。技術的な優劣ではありません。単なる私の好みなのでしょうか。
益子焼を長年扱っている店主が口癖のように言います。お客様(の好み)はいろいろだからね。好みは千差万別ということです。商品の優劣だけではないということです。
しかし、世界には誰しもが認める傑作の絵があります。
100%近い方が認めるという。数億円の高値でオークションに掛かります。
この芸術の普遍性について、朝倉二美さんに尋ねますと、益子焼の店主と同じことを答えました。人それぞれだということです。御寺様の好みで仏像を求められるということです。技術的な良し悪しはあるのでしょうが、その仏像に宿る品格や美しさは、御寺様の好みだということです。彼は、御注文に対して作る際には、御寺様の好みを徹底して伺うと言います。御寺様の好みを徹底して伺います。どこそこの御寺の仏像だというと訪ねて行き、その形状と特徴を認識しその好みで彫ることに努めているようです。

私の通販という仕事は、商品の良さ即(真と美)を伝え、お客様に喜んでいただく(善)、そして、作り手の職人さんに経済的な利を与えること(善)になります。
朝倉二美という仏師の仏様を心に求める方々へのご紹介になります。