2021年2月24日水曜日

会津木綿からつくる座布団.富士商店Vol001

手仕事専科では、山田木綿織元の会津木綿を扱っています。会津木綿は、豊田自動織機から織られたます。明治35年の頃の会津には、機やが30数軒ならんでいました。会津木綿の創成期です。しかし、今では2軒ほどを残して全て廃業となりました。山田木綿織元は、根っからの機やですが、会津木綿のその生き残るコツは、趣味の民藝になります。木綿の規格的質からは近代的自動化された、織幅を1m~2mもで出来る工業的木綿にはとてもかないません。あくまでも明治期に栄えた豊田自動織機からの着尺の木綿布です。

先にご紹介した205番の辛し色のクッション版では、横糸の差し替えの時に織圧がことなり、布の色味が濃淡がでてしまい、斑が出来るお話をしました。お客様は風合いですねと喜んでおられましたが、今日ご紹介する座布団は、鰹縞の座布団です。当サイト手仕事専科の座布団は、浴衣を裁縫される富士商店で作っています。プロの方が作っていますので、縫製はしっかりしています。私にとって、職人さんが信頼に応えてくれることが一番大切な要素になります。出鱈目な商品を作り、気にもかけない方は、職人とは言えません。職人の一番大切なことは良いものを作るという拘りです。趣味の手仕事とプロの手仕事の違いです。写真でご紹介いたします。            

富士商店の若女将です。
安心してお任せしています。
今回の鰹縞の座布団
下が鰹縞532番
上が大柄の鰹縞611番

ファスナー
こちらが縫い目ですが、コツがあります。
鰹縞は、古くからの縞柄です。
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 伝統的食品のブログ



2021年2月17日水曜日

風合いの会津木綿からつくるマフラー.山田木綿織元Vol002

会津木綿は、人気商品です。現在の手仕事専科の取り扱いは、山田木綿織元になります。お取引が始まって、7、8年になるでしょう。スタート時は、原山染工場でしたが、東日本大震災後の福島原発の放射能汚染から、観光客が激減しました。会津木綿自体が観光で成り立つ商品でした。会津若松に来られたお客様がお土産として求められていたのです。「趣味の民藝」会津木綿の言葉が似あいます。当主の原山公介氏は本当に孤軍奮闘しておられましたが、40代の後半で亡くなられました。その後、廃業されて、直ぐには再興されずに空白の時間がありました。山田木綿織元の山田悦史さんとのお付き合いとなりました。会津商人は、愚直なほどに丁寧に商慣習で商いをされます。会津戎の掟があります。まさにその商品魂をみます。

私はその縞と無地の柄を気にっています。そのごわごわ感が堪りません。私の好みに手作りのマフラーがあります。2mの切売りから、一つ作ることが出来ます。使うほどにごわごわ感が柔らかくなり、普段使いに楽しいアイテムです。[二日で出来るストール作り]

・湯通し     お湯でもみ洗い・日陰干し      1日工程

・切取      お好みの長さに

         本体の長さ+フリンジの長さ

         ストール  180cm+7cm×2(両端)

・フリンジ    フリンジは、括ると6cmになります。 1日工程

 終了                     計  2日

つくる楽しみを知った私の嬉々とした姿をご紹介できないのが残念です。

山田木綿織元  http://tesigotosenka.com/yamajyuaidumomen.html

富士商店    http://tesigotosenka.com/hujisyouten.html

手仕事専科   http://tesigotosenka.com

マフラー会津木綿品番№574
反物 縞574 
1反 ¥9,000
 
丈12m×37cm
     ■商品コードA-23574■
   
  ▶注文(メール)
湯通しをした後は、
端は、このような状態になっています。
太めの針で、一本一本横糸を
解します。
これもコツがあり、
慣れると簡単に横糸を外すことが出来ます。
手仕事の本質
「創意工夫」と「手際の慣れ」を
覚りました。
フリンジに括る幅ですが、
横幅35cmですので、
10mm幅で35本となります。
8mm幅で44本です。
本数が、35本位ですと存在感
45本位ですと薄い印象となります。
本数は、お好みです。
完成形 ストール(マフラー)
会津木綿品番№574

下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 伝統的食品のブログ


2021年2月16日火曜日

風合いの会津木綿からつくる座布団.山田木綿織元Vol001

最近、会津木綿の愛好家の方から、座布団の御注文を頂戴しました。当初は、会津木綿221番の浅緑の布地でしたが、今回は会津木綿205番の辛色でした。山田木綿205番は在庫にありましたので、1週間ほどで仕上がりました。辛色は昔から伝わる色ですが、私の世代には人気の色味です。座布団クッション版(□45cm)です。
山田木綿織元の無地205番
座布団クッション版
会津木綿は幅37.5cmの木綿地ですので、
45cmの幅ですと真中で縫い繋ぐことに
なります。
今回体験したことに豊田自動織機で織る会津木綿の特徴が少しわかりました。縫製してくれた富士商店さんからの話でしたが、今回の辛色の布地は、縦50cm位毎に色味が濃く変わっているというのです。会津木綿は染糸から織り上げますので、染の糸が異なることはない筈と思います。そうすると織の段階で何らかの違いがでるのでしょうか。今朝ほど、山田木綿織元の山田社長にお電話で確認いたしました。すると「横糸を継ぎ足すときに織圧が変わるからです。」というのです。「黒や紺ではその色味の違いは分からないのですが、淡い色味ではそれが出てしまう。」と言います。
そのお話から、お客様にその事情をお話ししましたら、古い織機で織り上げることから「風合い」ですねと、笑って居られました。
「会津木綿の風合い」です。
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ



2021年2月12日金曜日

宮染「手ぬぐい」にみる江戸の縁起もの.中川染工場Vol002

 宮染というと知る人ぞ知る宇都宮に伝わる伝統工芸品です。江戸末期の頃、真岡木綿(現在の真岡市で織られた木綿地)が盛んになり、その木綿地を染めるために宇都宮市内を流れる田川沿いに染物職人が集まり袢纏等を染めるようになったのが始まりです。その後、大正期になり、注染(ちゅうせん)という技法が生まれ浴衣や手拭いを一枚ずつ丁寧に染め上げてゆくようになりました。宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物を総称して「宮染・みやぞめ」と名付けられたのです。市内を流れる田川は、常に水量が豊富な河川ですが、流れも穏やかっで、嘗て染物を洗うには適していたものと思います。手仕事専科でご紹介している「宮染(注染)」は、中川染工場ですが、現在では、地下水を汲み上げて水洗いをしていますが、直ぐ田川の堤防沿いに工場があり、すぐ裏手になります。もう一つの印半纏福井染工場もすぐ脇を田川が流れています。

前から気になっていた宮染「注染」中川染工場のhpのメンテナンスですが、今回の「御朱印帳」の表紙用のグラデーションの御注文から、重たい腰を上げて取り掛かりました。江戸時代の末期に始まる宮染ですが、当初は印半纏などの染だったと聞きますが、その後に手ぬぐいや江戸着物の染となり、江戸小紋などは、こちらの宮染が納めていたようです。古い歴史を持つ手ぬぐいが、大正期になって注染の技法が発明されて、宮染の繁盛に繋がったようです。今日は、その縁起に繋がる柄の手ぬぐい「小柄手ぬぐい」をご紹介いたします。

良き事聞く
良き事聞くは、斧(よき=小斧・手斧)・琴(こと)・菊(きく)です。
豆絞り 黄色
豆絞りを良く見ると、不揃いの豆粒が、縦に正しく繋がって並んでいます。それは、子孫が途切れずに何世代も繋がっていきますようにと、子孫繁栄の切なる願いがこもっているのです。
うろこ(鱗)青
うろこ文様は三角形が交互に入れ替わって、互いに地と模様の部分を構成する幾何学的な模様です。古い時代の能装束の唐織の地紋にも多く、江戸時代には厄除けの文様とされました。うろこ模様は蛇や蝶を連想して、脱皮を表し、厄を落とし再生するという意味があります。
たてわく 紫
立涌(たてわく)とは、波状の線を膨らんだりすぼまったりするように向かい合わせた連続模様で有職文様(ゆうそくもんよう)にも用いられています。膨らんだ中に、菊、雲、波などを入れて、それぞれ菊立涌、雲立涌、波立涌などと呼ばれています。たちわき、たてわきとも読みます。  
かまわぬ 紺
歌舞伎役者の七代目市川団十郎が愛用した図柄で、歌舞伎の衣装にこの柄を使いました。「判じ物」と呼ばれる模様で「構わぬ」を絵文字に表したものです。
唐草模様 赤
昔、シルクロード経由で奈良時代に渡来した伝統的なデザイン。単純な上にどこまでも連続した模様が縁起良いと言われる柄です。つる草は生命力が強く、茎をどこまでも伸ばしてゆくところから、長寿や子孫繁栄の象徴とされています。唐草模様は江戸時代から明治にかけて、一番流行した柄です。
くまどり 黒と赤
隈取の名の由来は、日本画の技法用語から転用されたと云われています。
端からぼかしていく描法に使う筆を隈筆と云い、歌舞伎の場合も筋肉の隆起を鮮烈にするためにぼかしを施すということです。

下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2021年2月11日木曜日

二枚歯と草履型の違い。日光下駄山本政史Vol001

実は、福岡のお客様から日光下駄のご注文を頂戴しておりますが、草履型二枚歯か迷って居られました。そんなことから、山本政史さんにご相談いたしましたが、次の回答を頂戴しました。

1.二枚歯は、履く所が限られます。雨天時に履くことになりますが、足周りの悪い箇所では、履きがってが良くありません。同時に歯の接地面が桐材ですので、タイルなどの滑りやすい所は、難しく音もたちます。

2.その点、草履型はゴムを底全体に貼ってあるので、滑ることもないし、弾力クッションも効いて、履きやすい。当然滑ることもありません。普段使いから、一寸したお洒落な場所でも十分通用する下駄になります。着物にはもちろんですが、ジーンズや洋装にも似合ってお洒落です。草履型は、随分と多用途に履けるので、重宝です。その点、二枚歯は限られてしまいます。初めての日光下駄は、草履型がお勧めです。

二枚歯 焼き 印伝鼻緒 染竹皮

草履型 焼き 青系の木綿鼻緒 生成り竹皮
草履型 焼き 赤系の鼻緒 生成り竹皮
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2021年2月10日水曜日

宮染手ぬぐいで作る「御朱印帳」.中川染工場Vol001

今日は楽しいお話です。
御朱印帳をご存じでしょうか、メールで宮染グラデーションの手ぬぐいのお問合せでした。宮染でもグラデーションの小柄手ぬぐいは、それ程種類は多く無いのですが、尋ねると御朱印帳をつくられていると言います。宮染めの「寿づくし」1枚からB-5サイズの御朱印帳が一冊作れるようです。下の写真がそうです。
素敵ですね。
御朱印帳 青の寿づくし
              
宮染は、江戸時代後期に始まる宇都宮の伝統工芸品です。江戸末期の頃、真岡木綿(現在の真岡市で織られた木綿地)が盛んになり、その木綿地を染めるために宇都宮市内を流れる田川沿いに染物職人が集まり袢纏等を染めるようになったのが始まりです。
その後、明治に移り、注染(ちゅうせん)という技法が生まれ浴衣や手拭いを一枚ずつ丁寧に染め上げてゆくようになりました。 
宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物を総称して「宮染・みやぞめ」と名付けられたのです。注染という技法自体は、明治期に発明されていますが、現代のシルク印刷等のプリント技術の開発により、手間暇がかかる注染は、だんだん使われなくなりつつあります。それでも、その風合いを愛でる方々が多く、その良さを知る人々に人気があります。プリントは洗うと段々に褪せてますが、片側だけですので、みっともない状態になりますが、注染は、裏表に色が通っていますので、色褪せてもそれが、かえって素敵な風合いとなります。それが人気の秘密です。宇都宮に残る工房は、3軒を残すのみとなりました。手ぬぐいと江戸浴衣の中川染工場印染(半纏)の福井染工場、です。ともに手仕事専科のお取扱いの工房です。
注染の染液を注いでいるところ。
折り返した12枚の小柄手ぬぐい
(35cm×90cm)に伊勢型紙を通して、
色を吸引して染めます。
かなりの熟練度を要するようです。
注染の反物を洗い干します。
かなり高い物干し台から吊るされ、
中川染工場の風物詩です。

これらが、帯で巻いた
小柄手ぬぐいです。
豆絞り
しかし、豆絞りを良く見ると、
豆絞りという手拭の代表的な柄は、
一見すると、西洋柄の水玉模様ドットに見えます。
不揃いの豆粒が、縦に正しく繋がって並んでいます。
それは、子孫が途切れずに何世代も
繋がっていきますようにと、
子孫繁栄の切なる願いがこもっているのです。
唐草模様
昔、シルクロード経由で奈良時代に渡来した伝統的なデザイン。
単純な上にどこまでも連続した模様が縁起良いと言われる柄です。
つる草は生命力が強く、
茎をどこまでも伸ばしてゆくところから
、長寿や子孫繁栄の象徴とされています。
唐草模様は江戸時代から明治にかけて、
一番流行した柄です。

江戸時代には厄除けの文様とされました。
うろこ模様は蛇や蝶を連想して、脱皮を表し、
厄を落とし再生するという意味があります。














下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

 

2021年2月3日水曜日

2/2(火)NHKBSイッピンから.宮本工芸Vol002

 昨日(2/2)NHKBSイッピン(PM7:30)の放映から、山ぶどう皮網代編手提巻手の御注文が続いています。さすがにメディアの力ですね。2011年秋のNHKBS「美の壺」では、凄い反響がありました。今回は、それ程ではありませんが、手仕事専科宮本工芸の春先のご案内でしたので、タイムリーになります。山ぶどう皮やあけび蔓細工は、冬場よりも3シーズン向きの小道具(ギア)です。特に爽やかな風と青い空の下で大きめの手篭にお料理や飲み物を入れて、ピクニックや一寸した買い物に出かけるのは、楽しそうです。

山ぶどう皮、あけび蔓細工は、東北や信州などに古くから伝わる山間地や山里の伝統工芸です。あけび蔓細工が広く作られるようになったのは江戸時代後半からと言われます。しかし、始まりは縄文時代と言われるほど古い歴史があります。あけび蔓細工品は青森県郷土館の発掘調査の中で、弥生時代にその歴史の端を発することが分かりました。当時は、こだし編みのものが主流でしたが、平成6年に三内丸山遺跡の中で、新たにブドウ皮風のポシェット(網代編み)が発見されました。この発掘で縄文時代中期には、既にぶどう皮、あけび蔓細工品が使用されていたという事が明らかになりました。このブドウ皮ポシェットは紀元前4500年頃のものでほぼ完全に近い形で出土された事もあり、大変に重要な価値があるとされています。現在の産地としては青森県の津軽地方、秋田県の美郷町、山形県の月山など東北地方のほか、長野県の野沢温泉村が有名です。雪深いこれらの地域では、冬の農閑期に、あけびの蔓で細工品を作っていました。元々は農作業や食料品を収納する暮らしの道具でしたが、その美しさが訪れた人の間で評判となり、昭和30年代から50年代には、デパートや民芸品店でこぞって買い求められるになりました。しかし、高度成長期を経て、ビニールやプラスチック製品が世に出回ると衰退を余儀なくされ、伝統を受け継いだ工房や編み手は、今では貴重な存在となっています。昨日ご紹介された宮本工芸には、近在のりんご農家の年配の職人さんも沢山おられますが、若いこれからの職人さんも作られています。三上徳仁さんは、長年山ぶどう皮から、網代編手提巻手の手篭を作り続けられています。

幾つかの手篭をご紹介しますので、ご覧ください。

網代編手提巻手(2分幅
NHKBS美の壺で放映の頃(2011.11月)
三上徳仁
・薄型ほら編みリング手 中
妻胴張ホラ編リング手 (特小)


薄型ホラ編巻手(大)H24
妻胴張ホラ編(小) 
下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2021年1月31日日曜日

「Reohas(リオハス)」.手仕事専科Vol002

 websiteの世界に参入して11年が間もなく過ぎようとしています。2010年4月8日が、(株)とぴい企画を起業した日です。そして、4月22日に手仕事専科をupしました。その頃に楽天の営業の方から、このような言葉を聞きました。「(株)とぴい企画さんは、良いですよね。本物を販売しているから。」と。そして、別の方からは、「websiteは商品を売るのではない、コンセプトを売る。(株)とぴい企画さんは、コンセプトがあるから良いですね。」と。もう一人インド人の友人からは、websiteを「私達は物を売るのではない、文化と伝統を売るのだ。歴史とストーリーを売るんだ。」と。

コンセプトについては、websiteを育てる中で学んできました。物を売るには、商品の見立て、即ち優れた商品であることは当然でしたが、価格以上にその機能と美しさ、歴史と伝統を求めました。その中で考え思い至ったことが、「和美との生活」です。生活の中で伝統工芸品に付随してきた価値です。詳しくは、こちらの「和美との生活」の紹介をご覧ください。

次いで、私の心に芽生えたものは、社会経済です。2020年を迎えて、空白の30年が言われています。日本の自民党政策が原因ですが、匠の国日本は、物づくりの時代は優位に立ちましたが、アメリカウォール街の金融資本家達の世界には、歯が立ちませんでした。中世から、そして近代、現代の中で、世界はユダヤ資本に陰で牛耳られ、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして、その後に続くアジアと中東の局地紛争は、冷戦下の彼らの利を得る手法でした。日本は、需要特需から利益を得ると同時に冷戦下では、経済的に戦費から苦しむアメリカを敵に回しました。1971年のニクソンショックであり、ブレトンウッズ協定からの離脱です。2020年のアメリカ大統領選で、恐ろしいことが成されました。ジョー・バイデンの民主党が、不正選挙で7,420万票もの支持を勝ち取ったトランプを破り、勝利しました。あの2008年のバラク・オバマでさえも6,949万票でした。巷では、FAGAと言われる民間企業と殆どのメディア(CNN、NT、WP・・)が、反トランプでした。背後には長年アメリカを牛耳ってきたディープ・ステートと言われる人々がいます。アメリカ民主党は、彼等の傘下であり悪魔の巣窟です。ジョー・バイデンの醜聞は、恐ろしい内容です。この人物がこれからの世界をリードするのかと思うと空恐ろしい。彼等は、ワンワールドです。国家の制約と国境は必要ありません。多国籍企業が随分と昔に語られましたが、今は当たり前。世界は、二極化が進んでいます。数パーセントの富める者が世界の富を独占しています。彼らは、アメリカの富の独占のためには、中東のアメリカに対峙する民族的な国家は、敵です。リビア、イラク、イラン、石油資源と希少価値の資源を有する国々が、アメリカに歯向かうことは許されません。公然と因縁をつけて潰しにかかります。そして、彼らは、共産党中国から利益を得ています。嘗て、F・D・ルーズベルトが、スターリンのソビエトを育てたように、民主党政権は、クリントン、ブッシュ(彼は共和党ですが、ネオコンが関わりました。)、オバマ、ヒラリーと悉く共産党中国を育てることで関わってきました。北朝鮮に対する「戦略的忍耐」の言葉がそうです。従来の民主党大統領が使ってきた言葉です。ジョー・バイデンも将に今使っています。香港も台湾も、尖閣諸島も南沙諸島と同様に侵略されるでしょう。

話が脱線しました。社会経済では、国内的には、内部需要の創出が解決策の一つです。世界中に貧しい国家が、負の連鎖から逃れられずにいます。日本の空白の30年もそうです。需要創出を怠ったことによります。身近な話ですが、私の犬との散歩コースに10丁歩程の美田がありました。しかし、昨年から、お米を作らなくなり、宅地として造成されています。農協の不動産部が介在し80坪の宅地が、20区画程出来るようです。この後も息子さんは、農地を切売してゆくと聞きます。全部で7,80区画になるでしょうか。宅地造成地区になるのでしょう。休耕地政策がとられ、食糧需給率が如何程かは、語らずとも分かるでしょう。これからの世界は、食料と水は戦略物資です。国政の貧困です。私の考えの基本になるのは、「幸せの経済学」です。グローバリズムに対峙する「ローカリズム」です。今は、ローカリズムは皆無です。「地産地消」や「グリーンツーリズム」の言葉は殆ど死にました。Reohas(リオハス)の言葉が、私の生み出したコンセプトです。「幸せの経済学」から生み出された概念です。Reohas(リオハス)をご覧ください。

Reohas(リオハス)
Regional economy of health and sustainability
(健康で地球の持続可能を志向する地域経済)

Reohas(リオハス)とは、Regional economy of health and sustainability(健康で地球の持続可能を志向する地域経済)の略です。


2021年1月30日土曜日

普段使いのいっちんの器.薄田窯Vol005

 薄田と書いて、すすきだと読める方は、少ないでしょうか。会津若松にも薄の一文字の名字があります。ススキ、芒、薄、薄木と何れも「すすき」です。お父様の薄田浩司さんは、三春の御出身で更にご先祖は、佐竹藩に仕えた武士と聞きます。 

手仕事専科の工房「薄田窯-薄田いと」昨年のGW明けに、薄田いとさんのいっちんの器を随分とお待たせして納品いたしました。過去のブログでご紹介しています。

薄田窯 薄田いとさん
薄田窯に薄田いとさんを訪ねました。Vol.001
薄田いと-薄田窯.Vol.002
薄田浩司氏の遺作作品-薄田窯.Vol.003
薄田浩司氏の登り窯塩釉焼成のこと。薄田窯Vol.004

今回も同じお客様でしたが、御注文の器も在庫があり、直ぐにお届けすることが出来ました。「普段使いに重宝な器」と仰られています。

益子焼よりも少し堅い土を使い、白の釉薬で焼き上げています。形のシンプルさに逸珍の点、線書きが、楽しい器ですが、それでいて安価です。ちょっとお洒落で、安価さは重宝な器になります。薄田いとさんの作品をご紹介いたします。ぜひ、あなたのお料理の盛付にお使いください。料理は、味と栄養と形と色を器を使い愛でるものです。器にはお料理を引き立てる役割、仕事があります。

・箸置き(5客セット)
 ¥1,500
 4cm×5cm×h0.5cm 
 ■商品コード O-0504114■

・四角皿(縁)
 ¥900
 11.5cm×11.5cm×h1.5cm  
 ■商品コード O-0504106■
 

・ケーキ皿(5寸丸皿)
¥1,200
φ15cm×h1cm
■商品コード O-0504107■

下野・会津・津軽のブログ」はショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp
下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ


2021年1月28日木曜日

仏師朝倉二美氏のこと.手仕事専科Vol002

先日は、黒羽に朝倉二美さんを訪ねました。7、8年ぶりの出会いですが、暮らしの館で待ち合わせ、近くの蜂須小学校跡地にあるhikari no Caféでお話を伺いました。初めて彼と出会ってから、随分と月日が経ちます。当時木・工房ヒロさんから、朝倉二美さんを紹介いただきました。直ぐ近くの戸田にあるという工房を訪ねしましたが、仕事以外には関心がない風で、作業場には奥さんも依頼主の御寺のご住職も入れない徹底ぶりでした。緊張感が維持できないからと話していました。通販を行っている私のサイトで販売することは、お世話になっている御寺様に申し訳ないということで、ご紹介だけなら良いとなりました。彼の彫る仏像を見た訳ではなく、どの様なお顔の仏像なのかも分からずにいました。ただ、彼のwebsiteには、仏像の全体像が画像でご紹介されており、その端正な品のある姿に感動したのを覚えています。少しでも彼の制作のお役に立てればということで、仏師朝倉二美を作りました。

この度彼とお会いする前に彼の収めた仏像を拝見したく御寺さんを御紹介いただきました。近在では、二つの御寺にお納めしていると言います。ともに真言宗智山派の御寺でした。真言宗は、空海の弘法大師が広めた仏教です。高野山の密教として覚えています。ひとつは、大田原市湯津上の霊牛山威徳院極楽寺です。室町時代より天神宮、富士権現も管理しており二社一寺の形態ですが、ご本尊は虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)。朝倉仏師の大威徳明王、妙見菩薩等が安置されています。ともに大きな仏像でともに一木造りの仏像です。特に大威徳明王は、一木ですが、仏様の後ろの飾りも付け足したものではありません。牛は横広ですので、首のところだけは嵌め込んでいます。いずれにせよ、一木造りの素晴らしい仏像です。

妙見菩薩像
大威徳明王像
もうひとつは、大田原市の竜泉寺に4体が安置されています。竜泉寺は、城主大田原家の累代の祈願所として庇護され寺運が隆盛した寺院です。寺宝である「紙本著色大田原資清と一族の肖像画」は、江戸時代中期に絵師卯親子破傘翁(小川破傘)によって描かれたもので大田原市指定文化財に指定されています。朝倉仏師の仏像画像はご紹介できませんが、素敵なものでした。

彼の手法は、一木造りです。頭部から彫始めて行きます。
木彫仏像は、大きく一木造りと寄せ木造りとの2種類があると聞きます。寄木造りであれば、分業が出来るのですが、一木造りはひとりで彫あげることになります。したがって、完成までの時間が大きく異なります。
鎌倉時代の有名な仏像がありますが、工房の職人集団が作りました。
東大寺の主要伽藍焼失後に僅か2カ月で仏像を建立しています。
寄木造りだからでしょう。
(ここに有名な東大寺の仏像建立の運慶の著述があります。)
治承4年(1180年)の南都焼討で主要伽藍を焼失した東大寺復興造仏には、康慶を中心とする奈良仏師が携わっている。建久5年(1194年)から翌年にかけて、東大寺南中門二天像が造立されたが、このうち西方天担当の小仏師として「雲慶」の名が記録にみえる。建久7年(1196年)には康慶の主導で、快慶、定覚らとともに東大寺大仏の両脇侍像(如意輪観音、虚空蔵菩薩)と大仏殿四隅に安置する約14メートルに及ぶ四天王像の造立という大仕事に携わる。運慶は父康慶とともに虚空蔵菩薩像の大仏師を務め、四天王像のうち増長天の大仏師を担当している(『鈔本東大寺要録』『東大寺続要録』)。以上の諸像はその後建物とともに焼失して現存しない(快慶作金剛峯寺像、海住山寺像をはじめ大仏殿像の形式を模したといわれる四天王像が多く造られ、「大仏殿様四天王像」と称される)。現存するこの時期の作品としては建仁3年(1203年)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像がある。造高約8.5メートルに及ぶ巨像2躯は、1988年から1993年にかけて解体修理が実施された。その結果、阿形像の持物の金剛杵内面の墨書や吽形像の像内納入経巻の奥書から、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)の4名が大仏師となり、小仏師多数を率いてわずか2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられた。4人の大仏師の役割分担については諸説あるが、運慶が両像の制作の総指揮にあたったものと考えられている。この功績により、建仁3年(1203年)の東大寺総供養の際、運慶は僧綱の極位である法印に任ぜられた。これは奈良仏師系統の仏師として初めてのことであった。

彼の仏像は、1年から2年の期間で制作依頼を受けるといいますが、なかなかその期間では終わらないと言います。御寺様と取決めた制作金額は変わらないので期間が長くなると商売にならないと言います。制作集団に属さなければ、ひとり作業となります。寄木造りでも良いと思うのですが。一木造り制作に拘る彼の性格がそうさせるのかと思います。彼の話では、手の表情が一番難しいと言います。そういえば、ロダンの彫刻に手だけのものがありましたね。油絵の画家から手の表情が難しいというコメントはよく聞きます。手が習作の画題にもなるので彼の話も納得がゆきます。仏師という道は、運慶ではないですが、仏に使える身です。禊をして一刀一刀彫る作業です。巷の欲望からは一番遠くにいなければならないのかと思います。一木に仏の姿を造ることが喜びであり、真、美という芸術と善という仏の心とが叶う生業に思います。

私の長年の課題に「美」の普遍性があります。私は、ある画家が描く女性像が、好きではありません。その表情が心清く爽やかに見えないのです。ある時、知らない画家が描いた女性像が、穏やかでホッとする表情でいつまでも見ていたい飾って置きたいものでした。技術的な優劣ではありません。単なる私の好みなのでしょうか。
益子焼を長年扱っている店主が口癖のように言います。お客様(の好み)はいろいろだからね。好みは千差万別ということです。商品の優劣だけではないということです。
しかし、世界には誰しもが認める傑作の絵があります。
100%近い方が認めるという。数億円の高値でオークションに掛かります。
この芸術の普遍性について、朝倉二美さんに尋ねますと、益子焼の店主と同じことを答えました。人それぞれだということです。御寺様の好みで仏像を求められるということです。技術的な良し悪しはあるのでしょうが、その仏像に宿る品格や美しさは、御寺様の好みだということです。彼は、御注文に対して作る際には、御寺様の好みを徹底して伺うと言います。御寺様の好みを徹底して伺います。どこそこの御寺の仏像だというと訪ねて行き、その形状と特徴を認識しその好みで彫ることに努めているようです。

私の通販という仕事は、商品の良さ即(真と美)を伝え、お客様に喜んでいただく(善)、そして、作り手の職人さんに経済的な利を与えること(善)になります。
朝倉二美という仏師の仏様を心に求める方々へのご紹介になります。