2017年8月28日月曜日

作り手と売る人の違い---VOL.1

今朝は、手仕事専科の所以を考えていました。
2010.04.08が、㈱とぴい企画の設立日になります。
母の誕生日を設立日にしました。

2009年12月に長年勤めた日本ビューホテル(株)を退社し、二度とホテル業には戻るまいと思っていました。日本ビューホテル(株)は、旅館業からスタートした中堅ホテルグループです。箭内源典が那須温泉の一旅館から、その創意工夫で一大ホテルグループ仕立てた企業です。
自分は、箭内原典を尊敬しそのホテルマンとしての精神を学び業務に取り組んできました。
しかし、バブルの崩壊とともに経営の失敗から民事再生法の適用となり、みずほ銀行の傘下になりました。
銀行管理は、私たちの学んだものではなく経営指標を第一にします。そこには、お客様への奉仕のこころは、必要ではなくなったのです。
また、ホテル業は、トップに立つ人の色で180度変ってしまいます。
伝統は、継続されません。
那須ビューホテルの外観
今はもうこの姿を見ることはありません。
一世風靡のリゾートホテルでした。
ホテルマン時代のスナップ
福島県のいわき市からすてきなお客様が、
訪ねてきてくれました。
福島原発事故で
大きな影響を受けました。
青森県の一施設で7年間関わりました。
自分の学んだ経営哲学と手法で、驚異的な実績を残しました。
しかし、私たちがそこを離れて、数年で売上が、半分になりました。
行政がそれを望んだのです。
ステイクホルダーといいますが、彼らは第3セクターの経営に理事として関わりますが、責任を取りません。
星と森のロマントピアそうま
白鳥座の外観
もう20年前になります。
施設の一部
スキー場です。
シーズンには、毎夜、2時間ほど滑っていました。
オリンピック、ワールドカップに参加の選手が
たくさん育ったゲレンデです。
福島県滝根町のあぶくま洞です。
羽鳥湖高原レジーナの森
アトリオ
すばらしいリゾートです。

そのような折にホテルマン時代にかかわりのあったモノづくりの職人の方々の商品をwebciteでご紹介しようと思いついたのです。
ホームページビルダーという、PCプログラムを知らなくとも、webciteが作れるらしいとの情報からです。思いついて、製作スケジュールから4月8日を会社の設立日にしたわけです。
手仕事専科は、何とか間に合いました。

それから、7年が経過し、第8期に突入しています。
仕事や経験によるでしょうが、ひとはそして、人としての権利は、平等ですが、そのもつ才能は、異なります。
天才もいれば、凡庸な愚鈍なひとも大勢います。
大学無償化といった政策を掲げている政党を見ると何も知らない愚かな大衆と政治家を想わざるを得ません。
経済最優先の時代では、稼げるひとと無縁のひととがいます。それは、能力の差であり、努力の差です。しかし、ひととしての人権は、平等です。
社会は、いろいろの人々で成り立っています。ものを作る人、創る人、販売する人、消費する人、・・・・。

ホテルマン時代に人の能力については、面白い経験をしました。
青森の施設で、いやというほどの経験です。
ホテル経営の哲学です。
すばらしいスタッフは、適性のあるものを採用することが、第一だということです。
教育は、その後の策(二の次)です。
同時に相反する哲学ですが、適性のある者が、必ずしもホテルを担うスタッフになるとは限らないということです。
レストランのスタッフとして器用で簡単にメニューもサービス内容も覚えてしまう素晴らしい新人が居ます。
当然すばらしいホテルスタッフとして育つことを期待します。
片方には、何をやっても鈍で、いつも怒鳴られている新人がいました。
誰も期待していません。
しかし、数年後にその施設を訪ねるとその鈍だった彼が、レストランのリーダーとして、活き活きとして仕切っていました。
一方、期待していた彼はどうなったかというとすぐに辞めていっていたのです。
彼には、その職場が魅力的ではなかったのです。
一面的に人を見、評価することは、正しくはありません。
多彩な多様化を人の評価に見るべきだと思います。

職人と私との関わりでは、まさにそのことが第一の条件です。
彼らは、作ることに長けています。
しかし、販売すること、市場の動向やニーズ等、そして、接客やサービスは、不得手です。
一方、販売する者の関心は、如何に販売するかです。
私は、器用です。
すぐに作ることを真似ることはできるかもしれませんが、魅力は感じないでしょう。
手仕事品(商品)の面白さ、素晴しさを理解できる者が、この素晴らしいものをいかに多くの方に知ってもらいそれを手に入れることで幸せを満喫してもらうかです。
私には、その想いがありました。
ホテル業に従事したのは、その想いがあったからです。
お客様に喜んでもらう「奉仕の心」を持っていました。
私の知る祖父の代には、その心持がわが家の家風でした。
一向宗の富山県人の持つDNAだろうと思っています。
それが、私の知る手仕事です。
民窯(埴輪)
大塚はにわ店
残念ながら大塚明氏の御病気から、
暫くの間休業となります。
               
ひざまずく男の製作
大塚明氏
蒲生まゆみのハンカチ
何も知らずにこれらのハンカチを
作りました。
彼女の素晴らしいデザインに惚れ込みました。
独特のデザインです。
ハンカチを作ったのは、中川染工場です。
若い職人さんたちが、暑い工場の中で
黙々と作業に励んでいます。
型紙に糊漬けの作業です。
(有)宮本工芸
人気の網代編手提巻手の
手篭です。
幻と云えるほどの商品です。
2010年には、既に6年待ちの人気でした。
(有)宮本工芸では、幾人かの方が網代編手提巻手を
作りますが、彼の作品が一番多いでしょうか。
すばらしい芸術品と言えるものです。
三上徳仁氏
職人も販売する者もひとです。
理想的な人間関係がつねに作れるとは限りませんが、お互いを尊敬しモノづくりに愛着を持ちその普及に心掛ける心があれば、そのものを愛する人々に繋ぐことが出来るものと思います。
手仕事の三角関係のスパイラルが、より大きくなることを願っています。

下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2017年8月15日火曜日

工房間方に菅家藤一さんを訪ねて

昨日、喜多方市塩川の農泊花菜をあとにして、奥三島の間方に菅家藤一さんを訪ねました。
菅家藤一さんは、手仕事専科・工房間方のまとめ役ですが、たいへんお忙しい方です。長年つとめた役場を退職した後は、奥会津編組細工に関わり地域の幹事役として活動されています。
昨日お会いしたら、作り手の後継者が育ってきたと喜んでおられました。山ぶどう皮の小篭やマタタビの細工、代表的なものは、米研ぎ笊ですが、嬉しい限りです。
奥三島の編組細工の技能継承は、長年の取り組みになるのでしょうが、成功されているといいます。全国工人祭りが有名ですが、出展者も全国規模になり、当日の生活館での販売では、ひとり1品の購入に限られるのですが、商品がすぐになくなるほどです。

お忙しいところ、時間取ってくれました。
お訪ねした理由は、昨年に人気になったマタタビ米研ぎ笊の製作の件です。昨年からいく度もTV放映された関係から、御注文が増えに増えてしまい、製作が追い付かなくなってしまったからです。工房間方の作り手は、70歳から90歳の方々です。家の手伝い仕事もあり、高齢からの手足の疲労や故障もあります。ご注文があっても無理強いは出来ないのが通りです。
当初は、1~2カ月で出来ると見ていたのですが、はや半年が過ぎてしまいました。お客様にとっては、待つにも限度があると思われていると思いますが、作り上がってこないことには、致し方ありません。
お詫びするだけになります。
今後のご注文は、半年から1年先でお待ち頂けるのであれば、何とか作れるでしょうと仰っていただきました。

お盆の忙しい時期でしたが、
お待ちしてくれました。
役場を退職した後は、長年関わった
編組細工の技術継承に尽力されて、
毎日、後継者の育成と手篭などの製作、
TVの出演以降は、講演などの依頼も引っ張りだこで
忙しいようです。
網代編み財布(2分幅)ですが、後継者もしっかりと
作れるようになったといいます。
左は、山ぶどうの節を使った乱れ編みの財布です。
持ち手が、折れてしまった山ぶどう皮の手篭。
折れてしまうのは、芯が入っていないからですが、
修理依頼になります。
 
二分幅の手篭。
底が丸みを帯びて特殊な飾り編みです。
山ぶどう皮は、2分幅が限度の幅といいます。
宮本工芸の網代編手提巻手も
二分幅が限度です。
後継者の作ったマタタビ米研ぎ笊。
3~4合用(中)のサイズです。
後継者の作る笊ですが、最後の締めは、
菅家さんが行います。
1~2本継ぎ足す形で目の遊びを
なくします。
沢山の山ぶどう皮の準備が出来ました。
巾と厚みを揃えることが、準備になります。
下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ
 

2017年8月9日水曜日

南極のオーロラと宇宙展(あぶくま洞)

今日は、あぶくま洞に数年ぶりで尋ねました。
すでに手仕事専科の四季風景ブログであぶくま洞の鍾乳洞をご紹介しています。
かねての星の村天文台に大野台長を訪ねました。
ひと団体の子ども達と親子のグループがあり、賑わっていました。
お元気そうで何よりでしたが、かつてのスタッフと一緒に動き回っていました。
お話で「南極のオーロラと宇宙展」のご紹介があり、尋ねてみました。
驚き!!
すばらしい展示でした。
大野台長の素晴らしさを改めて認識しました。
写真に収めてきましたので、ご紹介します。

南極のオーロラと宇宙展
期間 平成29年7月29日(土)~8月31日(木)
開館時間/午前10:00~午後5:00(入館午後4:30まで)
第1会場/あぶくま洞天地人館
第2会場/田村市・星の村天文台
入場料/高校生以上:400円 中学生以下:無料
[あぶくま洞入洞券半券で半額]販売場所/天地人館
協力:国立極地研究所

 下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2017年7月26日水曜日

「ふるさと・まほろばの飛翔」が、「日本現代工芸美術展」本会員賞を受賞する!

現代津軽こぎん刺し作家の貴田洋子氏が、この春に開催された、「第56回日本現代工芸美術展」で本人初となる本会員賞を受賞されました。
すでに手仕事専科の美術工芸作家の頁で、彼女をご紹介しています。
伝統工芸の津軽こぎん刺しは、紺地に白の生成りの木綿で刺すものですが、彼女の作品は、アートとして、刺しています。
 今回受賞した「ふるさと・まほろばの飛翔」は、縦160cm、横140cmの大作で、伝統の幾何学模様に加え、刺した布地の裏側も美しいことを知ってほしい」との思いから、あえて裏模様との対象的な構成とし、モノトーンの落ち着いた世界観を表現している。(平成29年4月22日東奥日報)
 私は、カラフルな美しいこぎん刺しは、四季の美しい津軽・八甲田や奥入瀬渓流の秋や新緑を彷彿とさせますが、モノトーンは、冬の津軽平野を思い起こさせます。


第56回日本現代工芸美術展」本会員賞
「ふるさと・まほろばの飛翔」
現代津軽こぎん刺し作家
貴田洋子氏
東奥日報(平成29年6月16日発行)から、ご紹介いたします。
”貴田洋子さん(大鰐出身)こぎん刺しを未来に”
津軽こぎん刺し作家の貴田洋子さん=大鰐町出身、埼玉県所沢市在住=は、埼玉県立近代美術館(さいたま市)で開催中の「県展(21日まで)に「ふるさと・あのころを舞う」を出品。おなじみのモチーフ「八咫烏(やたがらす)」が8羽、作品の中を自由に舞っている。
同展と、日本現代工芸展、日展の3展覧会は「私にとって、作品そのものの向上と勉強の場であり、私自身が成長する場」と話す。
「生活の中でこぎん刺しを生み出した津軽の先人がいるから、今の自分がある。
先人と同じ思いで、こぎん刺しの美しさを守り、未来につなげたい」(白取心平)

※八咫烏とは
下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

 

2017年7月25日火曜日

宮染の制作風景(中川染工場)

今日は、小山駅構内shopように宮染「中川染工場」の仕入で伺いました。
宮染は、夏季を迎えて、人気商品です。
しかし、手ぬぐいは、既に生産のピークは過ぎて、夏季の物は終了していました。
工場の干し場には、ゆかた生地のオーダー品が、並んでいました。
こちらも等にピークを過ぎており、今扱っているのは、特注の物なのでしょうか、場内は、少しゆったりとした雰囲気が漂っていました。
浴衣地は、デザインが生きるし作り甲斐のある染ですね。
幾つかを手に取ってみました。
紺に鮮やかな白抜きの文様です。
欲しくなりました。

手仕事専科のオリジナルの浴衣地や単衣を創りたいと思います。
夢になるかな。
普段は、ベテランの方々がいるのですが、若い女性陣が、注染の作業に就いていました。
画像に収めてきましたので、ご覧下さい。
染終わった浴衣地を洗い、
干しています。
巾1mの型紙です。
1反の木綿地にこの型紙で
糊をつけて、注染に移行します。
糊付けの作業。
糊付けの作業。
注染の作業
下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

 

「大麻という農作物」著書の紹介

手仕事専科には、大麻博物館のページがあります。
すでに麻の専門店として知られていますが、この工房とは、長い話になります。

その前に麻との出会いがありました。
野州麻紙工房は、当時栃木県立博物館の学芸部長だった柏村祐司氏よりご紹介をいただきました。大麻草から和紙を漉いている大森芳紀は、若いご夫妻ですばらしい取り組みをしていました。
当時人気のあった坂本竜馬にでてきた岩崎弥太郎の家の古ぼけた壁は、彼の造ったものです。ほかには、納屋というギャラリーをつくられて、麻紙製品の販売や麻のパスタなどの軽食も提供していました。才能あふれる若者でした。

大麻博物館は、那須高原に大麻に関するショップがあるとの情報から、その頃に尋ねたものです。鹿沼産の精麻をつかい、いろいろなアクセサリーや世界中の苧麻の製品を展示販売しています。
大麻博物館は、高安淳一氏が、大麻に対する想いから作られたものです。
出会って驚きでした。
自分の前身は、ホテル勤務ですが、当時のブライダル写真やお客様の写真販売などで、長い付き合いでした。
先代からの付き合いです。
「なんで!?」が、開口一番です。
私もですので、お互い様です。

そんなこんなで大麻博物館とは、7年を超えるお付き合いになりました。
全国広と言えども、博物館は、こちらだけです。
ブレスレット、精麻でひもづくり(小冊子)、祝い大麻飾りなどが、一番人気でしょうか。
そのような高安淳一氏の想いを「大麻という農作物」(大麻博物館著)をまとめました。
日本の大麻は、海外のマリファナやハッシシといった嗜好品とは一線を隔しています。日本文化として、天皇家と大きくかかわってきました。これだけの文化と歴史に裏付けられた大麻草が、同一視されるのかが、分かりません。
大麻草は、有益な植物です。
ぜひ、一度ご覧頂ければと存じます。
-----------------------------------------------
大麻という農作物
「日本人の営みを支えてきた植物とその危機」
定価 2,000円(本体1,852円+税)
大麻博物館 著
(手仕事専科で、販売しています。)
----------------------------------------------

大麻という農作物
「日本人の営みを支えてきた植物とその危機」
定価 2,000円(本体1,852円+税)
大麻博物館 著
(手仕事専科で、販売しています。)
大麻畑の大麻草
精麻用のものは、密集させます。
精麻(1束)
巾2~3cm×長さ1.9m
これが1本の大麻草からとれる
精麻です。

(え”大麻”!実は栃木が誇る農作物です)
大麻は、「麻」「ヘンプ」などの別称を持つ、アサ科の一年草です。
違法な薬物として認識されることが多いこの植物ですが、日本では、縄文時代の遺跡から大麻の種が見つかるなど、古来より生活に親しまれ、繊維を衣服や縄・釣糸・漁網に、種を食料に、茎を建材に、葉や根を薬用にと幅広い用途で利用してきました。主要な作物であった名残は、「麻」と名がつく多くの地名や人名にも残されています。
また、神道の世界では、その繊維を清めの道具として用い、伊勢神宮のお札は、現在も神宮大麻と呼ばれるなど、日本の伝統文化・生活文化と非常に密接な関わりを持つ「農作物」でした。
しかし、工業化の波に乗り遅れたことや、法律の影響(現在、大麻の栽培には、都道府県知事が発行する大麻取扱者免許が必要です)、違法な薬物というイメージの固定化により、その価値や有用性は忘れ去られ、1950年には国内に約25.000件あった大麻農家が、現在は約40件にまで減少しています。
栃木は、陶酔作用がないよう改良された品種「とちぎしろ」の栽培を現在も続けており、国内生産の約90%を占める大麻の一大産地です。
大麻博物館では、2001年の開館以来、栃木が誇るべき農作物「大麻」に関する様々な情報を発信しています。

下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

 

2017年7月10日月曜日

現代津軽こぎん刺し作家 貴田洋子の作品・・・VOL.01

現代津軽こぎん刺し作家貴田洋子氏のhpが、今日でほぼ完成出来ました。
手仕事専科は、伝統工芸品の通販を目的にしています。
しかし、敢えて美術工芸・作家の頁をつくりました。
本来は、職人を対象にした「手仕事」のご紹介が目的ですが、絵画も工芸品も同じ地域の土壌に根ざしたものであり、兄弟姉妹のようなものだと見ています。
貴田洋子氏は、こぎん刺しに魅せられて、現在のような大作を刺して、生活の中の美ではなく、美術工芸としてのこぎん刺しを創られています。
貴田洋子氏の略歴をみると当初は、幾何学文様のこぎん刺しをテーマにし、絵画的な手法から、色彩感覚豊かな作品を創られていました。
繊細なそれでいて温かみのあるチャーミングな女性らしい作品です。
私はhp作りの中でそれらの魅力を知りました。
その中に好きなる作品が沢山ありました。
その後に2,000年を境に大作を作り、日展や現代工芸美術展に応募するようになりました。
八咫烏(やたがらす)が登場します。
秘められた力を持つ八咫烏(やたがらす)を刺し描くことで、作品に力強さが加わりました。
それらの鳥が、群舞し、乱舞する情景は、圧巻です。
大作品には、八咫烏(やたがらす)の乱舞は、似合うテーマであり、月や太陽、津軽の雪、・・・・と自然の中にいきる構成になります。
貴田洋子氏は、数多くの賞を得て、現代津軽こぎん刺し作家として、第一人者と言えるでしょう。
今回のシリーズでは、彼女の略歴から、幾つかの作品をご紹介します。

Vol.01  大作品(八咫烏)
Vol.02  大作品B(幾何学模様のテーマ)
Vol.03  小作品(2,000年以前のもの)

なんといっても圧巻なのは、大作です。
月や太陽、大雪原に舞う・群れ飛ぶ八咫烏(八咫烏)は、その力強さに秘められた何かを感じます。
 私は、その津軽に7年もの間、過ごしました。
西や東、北から、南まで、雪や温泉に、四季折々の津軽、十和田や奥入瀬、御岩木山、八甲田と愉しみました。
私の第二の故郷です。
これらの大作からその情景が、目に浮かぶのです。
これらの3点の大作は、御岩木山、弘前城の桜や地吹雪の舞う五所川原を背景にしています。

津軽人は、拘りのじょっぱりであり、一言では語れない人々です。
津軽は、芳しい香りのある地です。
いまだにお付き合いが、続いているのが嬉しい。

貴田洋子さんと出会ったときにかつての職場の若い女性スタッフを幾人も思い出しました。
津軽は、美人が多いのですが、相馬男に目屋女といい、美男美女の産地です。
貴田洋子氏は、まぎれもない津軽人(女)です。
あす・への飛翔
2013年 現代工芸美術展賞 
        160cm×135cm 
人は大きな悲しみ・苦しみ・悩みを背負い生きる 
でも小さな喜び・希望・勇気・夢を持てる 
あす・へみんなで飛ぼう。
貴田洋子氏
とてもチャーミングな方です。
でもじょっぱりな津軽人(女)。
津軽の方は、好きです。


つがる・桜月の飛翔
2014年 現代工芸美術展     
 160cm×135cm 
津軽の春、美しい風景はほんのいっ時  
爛漫の桜も、月に舞う鳥に散らされてしまいそう、
  ここは、ひろさき。
まほろば・津軽平野の舞        
      160cm×135cm 
下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

 

2017年6月22日木曜日

現代津軽こぎん刺作家 貴田洋子氏のこと

今日は、現代津軽こぎん刺作家 貴田洋子さんを訪ねました。
手仕事専科には、弘前こぎん研究所があります。所長である成田貞治氏とは、既に20年来のお付き合いですが、この手仕事専科のweb citeのスタート時に並々ならぬお世話になりました。
彼の公平無私のお人柄が、津軽こぎん刺の普及に貢献しています。
今回の訪問も彼のご紹介でした。
ホテルからタペストリーのお問合せがあり、それを電話越しに聴いていた成田社長から、現代こぎん刺作家である貴田洋子氏の作品をご紹介してくれたことによります。
「貴田洋子の世界」という小冊子からは、その無機質の画像から、イメージが広がりませんでしたが、直にそれらの作品を拝見するとその温かみに180度印象が、変わりました。
素晴らしい作品群でした。
彼女は、既に長いことこぎん刺しに関わっていますが、個展と日展、現代工芸美術展、埼玉県展に出展しています。
それらのものは、販売することなく、所蔵しています。

彼女は、スタート時には、幾何学的なもどこ(文様)の抽象的な作品でしたが、2000年より、師事する故後藤和氏から、動物を加えることを勧められ八咫烏(やたがらす)を刺すことになりました。
幾何学文様にあう八咫烏(やたがらす)を入れることで、作品に深みが増しました。
物語が加わったことになります。
また、同様にこぎん刺しに色を加えました。
干渉し合う色の使い方です。
すばらしい作品群です。
現代津軽こぎん刺作家は、日展でも貴田洋子氏しか、おられません。
唯一の作品です。

この度の御縁から、彼女の作品を手仕事専科にて、ご紹介することになりました。
八咫烏(やたがらす)をテーマにする作品は、古代の『日本書紀』や『古事記』に登場する素晴らしいストーリーを持つ作品です。
八咫烏の作品は、吉祥の作品と言えます。
多くの方々にお伝えしたいと思っています。


※八咫烏(やたがらす)
八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであり、八咫は144cmとなるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
なお、八咫烏は『日本書紀』や『古事記』に登場するが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされるため、八咫烏と金鵄がしばしば同一視ないし混同される。

三本足の意味八咫烏が三本足であることが何を意味するか、については諸説ある。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。また、かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表すともいわれる。
しかしながら、『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記述されておらず、八咫烏を三本足とする最古の文献は、平安時代中期(930年頃)の「倭名類聚抄」であり、この頃に八咫烏が中国や朝鮮の伝承の鳥「三足烏(さんそくう)」と同一視され、三本足になったとされる。また1939年(昭和14年)に、「天皇の命令」の形式をとる勅令(昭和14年勅令第496号)によって制定された日中戦争の従軍記章たる支那事変従軍記章は、その章(メダル)の意匠に八咫烏を用いるが、これは三本足ではなく二本足であった。一方1931年(昭和6年)にはサッカー協会のマークとして三本足の鳥を図案化している、これは中国の故事に基づいたものと言われているが、日本サッカー協会のホームページでは、三足烏(やたがらす)と表現している。
元々賀茂氏が持っていた「神の使いとしての鳥」の信仰と、中国の「太陽の霊鳥」が習合したものともされ、古来より太陽を表す数が三とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など、太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説である。
中国では古代より道教と関連して奇数は陽を表すと考えられており、中国神話では太陽に棲むといわれる。陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる。

下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。株式会社とぴい企画  080-5089-9227  topykikaku@ybb.ne.jp 
■下野・会津・津軽の四季風景 ■下野・会津・津軽の歴史街道 ■和美との生活・和美空間 ■伝統的食品のブログ

2016年12月18日日曜日

奥三島のマタタビ米研ぎ笊の将来

先日は、工房間方の菅家藤一さんを訪ねました。
数日前の寒気から、村への一本道も細い河川も美しい雪化粧に覆われていました。
久しぶりに会う菅家さんは、なぜか若返ったように見えました。
作業場も綺麗に整頓されていて、私を迎えてくれました。
春先のTVを見ての御注文で、30個近い数が、入りました。
TV効果は、驚きです。
しかし、マタタビの材料が切れてしまい作れません。
そこで、今秋のマタタビ材の予約を受けることにしたのですが、今では、50個を超える数になっています。
年内には、いくつかが出来て、1月には、全て、納められる予定だといいます。
マタタビは、猫にマタタビの「マタタビ」です。
節の間の枝を使います。
皮を剥いで、4つに裂いて、厚さを半分に割いて厚みを揃えます。
マタタビの材料は、間方の近くの山には、沢山生えています。
彼は、山を育てるといいます。
マタタビの切り株からは、素姓の良い枝が、何本も芽を出して、数メートルも伸びます。
3年過ぎると枝分かれするけれど、3年目が一番熟成して、細工ものには、適しているといいます。
切取らなければ、素姓の良い材は、芽も出しませんし、そだちません。
菅家さんは、工芸館の館長を7年間
勤めたといいます。
そのことから、全国工人祭りを充実させて
現在の基礎を作ったといいます。
マタタビ米研ぎ笊の底です。
編み方に技術と技能を要します。
そこは、7廻り半といいます。
そこの広さも5列とも7列ともで決まります。
 
確りとしたマタタビ米研ぎ笊です。
間方の人たちは、1日で1個作ります。
菅家藤一さんは、2個作ります。
「なんで?」と言われるそうですが、
手早なことと段取りがそうさせるのでしょうか。
美しい米研ぎ笊です。
特に笊口が確りとしているのが、わかります。
編み組細工のうまさは、笊口と持ち手が、決めてです。
彼の作りは、しっかりとした工夫をしています。
菅家藤一さんの名は、御祖父さんが付けたといいますが、
藤一は、「ふじ蔓(細工)で一番」の意でしょうか。
奥さんが、そんな話をしてくれました。
 
こちらの工房では、いつも数人の方々が、
彼から編み方を習っています。
2泊3日の体験ツアーがあって、1個の米研ぎ笊を
作ることができます。
時期的には、3月4月頃が、一番良いといいます。
手仕事専科で、企画したいと思います。
工房間方は、菅家藤一さんが、近在の老人たちに編み方を教えて、組織しています。
菅家さんは、63歳ですが、作り手で一番若い方は、75歳、そして高齢の方は、94歳になります。
高齢の方は、マタタビの材料取りで、山に入ることが出来ません。
菅家さんが、採ってきたものを彼らに準備してあげることになります。
「帆待ち」という言葉を知っていますか。
田舎では、帆待ち稼ぎといって、本業以外のアルバイトの仕事のことを指しています。
漁師が、船の帰るのを待つ間にするアルバイトとの仕事のことです。
介護保険料から、老人の手に入るのは、精々、4万円程度でしょうか。
帆待ち仕事のマタタビの米研ぎ笊では、1カ月で、年金と同じくらいの収入となります。
孫への小遣いにもなるでしょう。
しかし、後継者が、いません。
一番若い方が、75歳ということから、分かります。
社会的な変化が、もたらしています。
奥三島編組協議会や友の会の活動が、それらをサポートしています。
菅家藤一さんのような、情熱を持つ方々の活動によるのかと思います。

下野・会津・津軽のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽 手仕事専科」のブログです。