2016年12月18日日曜日

奥三島のマタタビ米研ぎ笊の将来

先日は、工房間方の菅家藤一さんを訪ねました。
数日前の寒気から、村への一本道も細い河川も美しい雪化粧に覆われていました。
久しぶりに会う菅家さんは、なぜか若返ったように見えました。
作業場も綺麗に整頓されていて、私を迎えてくれました。
春先のTVを見ての御注文で、30個近い数が、入りました。
TV効果は、驚きです。
しかし、マタタビの材料が切れてしまい作れません。
そこで、今秋のマタタビ材の予約を受けることにしたのですが、今では、50個を超える数になっています。
年内には、いくつかが出来て、1月には、全て、納められる予定だといいます。
マタタビは、猫にマタタビの「マタタビ」です。
節の間の枝を使います。
皮を剥いで、4つに裂いて、厚さを半分に割いて厚みを揃えます。
マタタビの材料は、間方の近くの山には、沢山生えています。
彼は、山を育てるといいます。
マタタビの切り株からは、素姓の良い枝が、何本も芽を出して、数メートルも伸びます。
3年過ぎると枝分かれするけれど、3年目が一番熟成して、細工ものには、適しているといいます。
切取らなければ、素姓の良い材は、芽も出しませんし、そだちません。
菅家さんは、工芸館の館長を7年間
勤めたといいます。
そのことから、全国工人祭りを充実させて
現在の基礎を作ったといいます。
マタタビ米研ぎ笊の底です。
編み方に技術と技能を要します。
そこは、7廻り半といいます。
そこの広さも5列とも7列ともで決まります。
 
確りとしたマタタビ米研ぎ笊です。
間方の人たちは、1日で1個作ります。
菅家藤一さんは、2個作ります。
「なんで?」と言われるそうですが、
手早なことと段取りがそうさせるのでしょうか。
美しい米研ぎ笊です。
特に笊口が確りとしているのが、わかります。
編み組細工のうまさは、笊口と持ち手が、決めてです。
彼の作りは、しっかりとした工夫をしています。
菅家藤一さんの名は、御祖父さんが付けたといいますが、
藤一は、「ふじ蔓(細工)で一番」の意でしょうか。
奥さんが、そんな話をしてくれました。
 
こちらの工房では、いつも数人の方々が、
彼から編み方を習っています。
2泊3日の体験ツアーがあって、1個の米研ぎ笊を
作ることができます。
時期的には、3月4月頃が、一番良いといいます。
手仕事専科で、企画したいと思います。
工房間方は、菅家藤一さんが、近在の老人たちに編み方を教えて、組織しています。
菅家さんは、63歳ですが、作り手で一番若い方は、75歳、そして高齢の方は、94歳になります。
高齢の方は、マタタビの材料取りで、山に入ることが出来ません。
菅家さんが、採ってきたものを彼らに準備してあげることになります。
「帆待ち」という言葉を知っていますか。
田舎では、帆待ち稼ぎといって、本業以外のアルバイトの仕事のことを指しています。
漁師が、船の帰るのを待つ間にするアルバイトとの仕事のことです。
介護保険料から、老人の手に入るのは、精々、4万円程度でしょうか。
帆待ち仕事のマタタビの米研ぎ笊では、1カ月で、年金と同じくらいの収入となります。
孫への小遣いにもなるでしょう。
しかし、後継者が、いません。
一番若い方が、75歳ということから、分かります。
社会的な変化が、もたらしています。
奥三島編組協議会や友の会の活動が、それらをサポートしています。
菅家藤一さんのような、情熱を持つ方々の活動によるのかと思います。

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