宮染というと知る人ぞ知る宇都宮に伝わる伝統工芸品です。江戸末期の頃、真岡木綿(現在の真岡市で織られた木綿地)が盛んになり、その木綿地を染めるために宇都宮市内を流れる田川沿いに染物職人が集まり袢纏等を染めるようになったのが始まりです。その後、大正期になり、注染(ちゅうせん)という技法が生まれ浴衣や手拭いを一枚ずつ丁寧に染め上げてゆくようになりました。宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物を総称して「宮染・みやぞめ」と名付けられたのです。市内を流れる田川は、常に水量が豊富な河川ですが、流れも穏やかっで、嘗て染物を洗うには適していたものと思います。手仕事専科でご紹介している「宮染(注染)」は、中川染工場ですが、現在では、地下水を汲み上げて水洗いをしていますが、直ぐ田川の堤防沿いに工場があり、すぐ裏手になります。もう一つの印半纏の福井染工場もすぐ脇を田川が流れています。
前から気になっていた宮染「注染」の中川染工場のhpのメンテナンスですが、今回の「御朱印帳」の表紙用のグラデーションの御注文から、重たい腰を上げて取り掛かりました。江戸時代の末期に始まる宮染ですが、当初は印半纏などの染だったと聞きますが、その後に手ぬぐいや江戸着物の染となり、江戸小紋などは、こちらの宮染が納めていたようです。古い歴史を持つ手ぬぐいが、大正期になって注染の技法が発明されて、宮染の繁盛に繋がったようです。今日は、その縁起に繋がる柄の手ぬぐい「小柄手ぬぐい」をご紹介いたします。
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良き事聞く |
良き事聞くは、斧(よき=小斧・手斧)・琴(こと)・菊(きく)です。
豆絞りを良く見ると、不揃いの豆粒が、縦に正しく繋がって並んでいます。それは、子孫が途切れずに何世代も繋がっていきますようにと、子孫繁栄の切なる願いがこもっているのです。
うろこ文様は三角形が交互に入れ替わって、互いに地と模様の部分を構成する幾何学的な模様です。古い時代の能装束の唐織の地紋にも多く、江戸時代には厄除けの文様とされました。うろこ模様は蛇や蝶を連想して、脱皮を表し、厄を落とし再生するという意味があります。
立涌(たてわく)とは、波状の線を膨らんだりすぼまったりするように向かい合わせた連続模様で有職文様(ゆうそくもんよう)にも用いられています。膨らんだ中に、菊、雲、波などを入れて、それぞれ菊立涌、雲立涌、波立涌などと呼ばれています。たちわき、たてわきとも読みます。
歌舞伎役者の七代目市川団十郎が愛用した図柄で、歌舞伎の衣装にこの柄を使いました。「判じ物」と呼ばれる模様で「構わぬ」を絵文字に表したものです。
昔、シルクロード経由で奈良時代に渡来した伝統的なデザイン。単純な上にどこまでも連続した模様が縁起良いと言われる柄です。つる草は生命力が強く、茎をどこまでも伸ばしてゆくところから、長寿や子孫繁栄の象徴とされています。唐草模様は江戸時代から明治にかけて、一番流行した柄です。
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くまどり 黒と赤 |
隈取の名の由来は、日本画の技法用語から転用されたと云われています。
端からぼかしていく描法に使う筆を隈筆と云い、歌舞伎の場合も筋肉の隆起を鮮烈にするためにぼかしを施すということです。
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