2018年2月8日木曜日

人気の内裏雛

手仕事専科には、際物として武者絵や津軽凧絵、お雛様飾り(吉貞)などがあります。
最近とても嬉しいニュースがありました。
津軽の下川原焼土人形が、弥生の節句を迎えて、人気なのですが、更に驚きがありました。
広島呉市に(公財)蘭島文化振興財団 松濤園がありますが、そちらに下川原焼土人形が、展示されているというのです。
「え!」
江戸時代の朝鮮通信使のお土産として、使われていたといいます。
次号で詳しくご紹介したいと思います。

話を戻しますね。
弥生のお節句は、お雛様飾りになりますが、下川原焼人形には、内裏雛5段飾りのお雛様セットがあり、節句を迎えて、製作に大忙しです。
もうそろそろ、御注文(受付)が打切りになってしまいます。
3月3日のひな祭りには、母方の祖父母から贈られた雛人形を飾り、女児の成長や幸せを家族皆で願います。
最近は、住宅事情から、かつてのような豪華な7段や5段飾りの雛壇ではなく平段やガラスケースに入った3段程度の物が、人気だといいますが、どのような飾りでも必ずいるのが、お内裏様とお雛様です。

しかし、そもその雛人形とはったいどのようにして誕生したのでしょうか。
雛人形は元々、「上巳の節句」の際に、草や藁で作った人形(ひとがた)で体を撫で、穢れを移したものを川に流すことで厄払いとされていた行事と、貴族階級の女児が行っていた紙の人形のおままごと遊びである「ひいな遊び」が合わさって生まれたものだと言われています。
ひいなには、小さくてかわいらしいものという意味の外に、大きいものを小さくするといった意味もあったから、人形(ひとかた)とも意味が重なり、いつしか人形(ひとがた)は「流しひな(雛)と呼ばれるようになっていったといいます。
この流し雛の風習は、今も鳥取県などで行われています。
また、江戸時代になると人形作りの技術が発達し、紙で作られていた流しひな(雛)はより精巧に豪華になっていきました。そうすると人々は雛人形を川に流すのではなく、飾るものへと意識を変えていったのです。
※縄文時代には、土偶がありました。かつての旧木造町になりますが、亀ヶ岡遮光器土偶が出土しています。
手仕事専科夢野工房でご紹介しています。
 素晴らしい重要文化財の土偶ですが、土偶は、穢れを祓う具として使われていたといいます。というのは、住居跡からは、手足を折られた土偶が沢山出土しています。
人形の土偶が、ひとの身代わりになっていた所以です。数万年前の縄文人も平安時代の人々の想いも同じだったと言えます。
手仕事専科    http://tesigotosenka.com
下川原焼土人形 http://tesigotosenka.com/sitakawarayaki.html   
・内裏雛(大)   
丈12cm×横11cm×巾8cm
 ■商品コード T-17065■  

注文(メール)
・お雛様セット(大)
お雛様セット(小)
注文(メール)
下川原焼土人形
阿保正志 さん
津軽伝統工芸
鳩笛、人形笛、・・・・。
見ていて楽しい土人形です。
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