2015年2月26日木曜日

津軽金山焼の嬉しいニュース!

私のweb手仕事専科には、津軽金山焼があります。
五所川原には、縄文時代の土偶・重要文化財の「亀ヶ岡遮光器土偶」が、出土しています。国宝土偶には、3点ほどがありますが、それ以上に人気の土偶です。
その出土が、この地の粘土質の陶土にあります。かつて、器としては、須江器といわれるものが、使われていましたが、松宮亮二さんが、津軽金山焼として焼締めの窯を起こされました。
焼締めの陶器は、好きです。
益子焼に永年慣れ親しんでいた私には、当初は、好きではありませんでした。
雑な荒々しい陶器は、美しさに掛けるように思われたからです。
しかし、小砂焼益子焼のように釉薬で、美しさを求めると”器”としての機能、即ち、お料理や花を活かすことが、出来なくなってしまいます。
お料理は、5色といいますが、それらを引立たせるどころか、お料理や花に器が勝ってしまうからです。
その意味では、津軽金山焼の焼締めは、美しい。
もちろん炎の偶然のなせる技でもありますが、美しい。
日本の侘び寂の世界に導かれます。
私は、現在、社交ダンスの魅力に魅せられていますが、男性は、女性をいかに美しく見せるかが、役割です。二人の円舞の軸、柱として、体全体で、美しい女性の姿美を支えることになります。
自分を格好良く、より目立ちたい男性は、それに耐えられないでしょう。
失格です。
男性は、女性を美しく見せる影の格好よさが、求められます。

実は、その津軽金山焼が、震災以降の経営の厳しさから、昨年の夏より通販の卸部門を縮小することになりました。
好きな津軽金山焼をご紹介販売することが、私の願うところでしたので、継続を依頼しておりましたが、それが、今年になり復活しました。
これからも津軽金山焼手仕事専科のブログfacebookで、ご紹介してゆきます。
雪国の縄文土偶にも端を発する情念の炎で焼かれた「津軽金山焼」をご紹介いたします。
手仕事専科は、この4月で6年目に入ります。
お陰さまで、年々、ご指示を頂戴しております。
3月から7月末まで、5年間にご購入下さったお客様に春・夏キャンペーンでプレゼントを行う予定です。
お楽しみに!!
津軽金山焼
後手急須、湯呑み、冷酒呑み
一口ビアカップ、ビアカップ(大小)
壁灯
白壁にすてきな雰囲気を醸し出しています。
亀ヶ岡遮光器土偶
夢野工房の実寸土偶です。
柴谷浩二の作です。
益子焼ふじ窯
小鉢黒柿糠流し
小砂焼
藤田製陶所
黒金結晶の碗です。
鉄赤、黒金結晶が、特色です。
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2015年2月16日月曜日

会津木綿の山重山田木綿織元をご紹介します。

先のブログでは、原山織物工場の廃業をお知らせいたしましたが、きょうは、会津にもう一件会津の伝統を受け継いでいる「山田木綿織元」をご紹介いたします。
会津若松の七日町に明治37年から、操業している木綿織元です。
現在の当主の山田悦史さんは、3代目といいますが、真摯に家業に取り組まれています。
私からすると、安心のできる職人さんです。
出来ることとできないことを明確にしていただけることが、一番安心です。
今回、原山織物工場様宛の座布団のご注文がありましたが、廃業ということで対応することが出来ませんでした。
嬉しいことに私の手仕事ネットワークで、対応できることになりました。
生地は、山田木綿織元さんの物を使いますが、縫製は、別の工房となりますが、こちらも確りとした作り手です。
感謝です。
お客さまからのご注文が、私の手仕事のネットワークにつながることが、一番嬉しいことでしょうか。
この度のお客様は、飲食店を開業されるのですが、会津のご出身の方でした。
あえて、会津もめんに拘られて、御注文となりました。
わたしとしては、従来の価格で対応できたことが、何よりです。
近々には、山田木綿織元に座布団として、アップいたしますが、私自身でも、使うことにいたしました。
会津木綿の良さを実感してみたいと思います。
この度の山田木綿織元様とのであい、そして、会津ご出身のお客様に感謝です。

山田木綿見本帳は版
見本生地が、手元にあると
お客様への色ご紹介に確信を持って
お伝えすることが出来ます。
山田会津木綿織元は、七日町にあります。
明治37年創業の今では、
会津に1件だけとなった織元です。
豊田自動織機は、ご存知でしょうか。
所狭しと、機械が(織機)が、並んでいます。
山田木綿織物と木綿の特徴は、
縞柄が比較的細い(狭い)ことです。
対して、原山織物工場では、幅広のものが、
多かったのを記憶しています。
山田木綿織元三代目当主の山田悦史氏です。
忙しく製造から販売と関わっておられます。
今では、4代目の加わっておられるので、
後継者も安心です。
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白河だるま市に伺いました。

白河だるま市は、毎年2/11日に開催されます。
私は、最近では、久しぶりのだるま市ですが、すれ違うことが出来ないほどの賑やかな人手となります。
聞くところ、15万人もの人が、繰り出して、700軒もの露天商が、並ぶといわれています。
私のこどもの頃とは、販売しているものも価格も変わっています。
広島もんじゃ焼やチョコバナナなどは、よく見かけますが、牛肉のシシカバブーやトルコのケバブがの屋台が、多く見かけました。
そして、何件ものだるま店です。
白河では、渡辺だるま店佐川だるま製造所の2件だけとなっていますが、白河だるまでないだるまも並んでいました。
白河だるまは、その顔が美しく福々しく上品であることが、特徴といわれています。
松平定信公が、お抱え絵師であった谷文晁(たにぶんちょう)に命じてだるまの絵付けさせました。
眉毛は鶴、髭(ひげ)は 亀、耳髭は松と梅、あご髭は竹を表したこのだるまは、領民に大変受けて造花より白河だるまが有名になりました。

嬉しかったことは、昔の花市の雰囲気が、残っていました。
私のこどもの頃は、白河は、大きな街でした。
デパートもあり、祖母や母と一緒に来た時のことは、嬉しい思い出です。
その時と同じ光景が見かけました。
お爺さんとおばあさん、御両親、そして、こどもたちが、大勢で出かけてきていました。
そして、大小様々のだるまを購入して、屋台の食べ物を手に提げて、人込みを歩いていました。
私の住む黒磯では、ついぞ見かけなくなった御家族一緒の繰り出しでした。
家族の絆が残っているのを見ました。

福々しく美しい上品な白河だるまです。
旧奥州街道(国道294号線)に約700件もの露天商が、
並びます。ひさびさにすれ違うのが、大変な市(花市)を
経験しました。
白河だるまは、福々しく上品なのが、
特徴です。
高崎だるまや他のだるまは、つとに有名ですが、
私は、この楽翁公の画匠の谷文晁(たにぶんちょう)
のだるまが、すきです。
家内安全や、商売繁盛などの文字を
背中に書いてお渡ししていました。
さすがに年期の入った、姿です。
佐川だるま製造所の佐川明子さんです。
もう、何代目になるのでしょうか、
真摯に手造りのだるまを作っています。
和紙も重しもすべて、自家製です。
すごいことです。
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