2015年1月3日土曜日

南部古代型染 蛭子屋小野染彩所

手仕事専科には、南部藩の手仕事があります。
その名も「南部古代型染」です。そして、蛭子屋小野染彩所さんになります。
その縁起をご紹介いたします。
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この型染は古く南部藩時代に武家の間に用いられた衣類等の図柄を今日に生かしたものでございます。
 昔は裃、袴、小袖に使用されたものでございました。
 私どもの家業は藩政時代からこの型染に専心し、今に続いております染師でございますが、この型染をつくづく見ますとこのまま捨て去るに忍びないものがありますので「南部古代型染」として皆様のお手許にお届けしてご鑑賞に供する次第でございます。

南部古代型染
 名 称:近代に対して、古代と呼称す。
 歴 史:初代 蛭子屋三右エ門 寛永五年(1628年)
 用 途:武家階級の使用が主であった。

  1. 祖先は、代々南部藩御用の染師であったので、当時使用した染型紙が大切に保存されてきた。又、技術も代々継承されてきた。
  2. 環境としてその保存に恵まれたのは、東北の端の地であり、他からの影響も少なく淘汰されることなく温存され高められていった。
  3. 仕事を一貫作業とし、一切の作業を手加工とし、型造り工程から仕上げ迄に至る。
  4. 後継者に恵まれ、又時期的にも古き物の良さが再認識され復活を期待する声が高まった。
  5. 製品の完成度に留意すると共に、時代への適合も心掛けている。又、購入客の希望もとりいれている。
  6. 伝統的なすくも藍、ふすま、木灰の醗酵建てによる藍色の躍動が藍染の魅力であり、昔ながらの染法を今も守り続けている。そして今も尚、魅力を放っている。現在使用している藍は、南部藍が生産されなくなった今日、阿波徳島産である。  


 文様と製作方法は、中国から流入した文化である。その美術文化の源流である中国に1966年5月、北京、上海、蘇州、抗州、広東へ技術指導のため訪中する機会を得、そして日中交流の足跡を辿ることが出来た。文献によると文様は1500年前既に交流があったとう言うことである。そして、原型を損なう事なく脈々と生き続けている。
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これらの型紋様は、南部古代型染の代表的な4点です。
わたしの知る限りでは、すぐれた美しい紋様です。
これらの物が、型から布に染められていろいろな被覆や和雑貨になっていることは、すばらしいことに思えます。
向鶴(むかいづる)
南部公の紋章、向鶴を菱文に文様化したものである。
この菱鶴の形状は、南部古代型独特のものである。
四つ割菱(清和源氏義光流)
武田氏の家紋は「四つ割菱」である。
すなわち「武田菱」として有名なもので、
武田氏の専用なので武田菱の名が起こった。
武田氏は割菱ほかに「花菱」も用いたが、
花菱は裏紋または控え紋として用いたようで、
女性などがやさしさを表わすために多用したようだ。
この花菱も菱形を花の文様に変化させたもので、
武田氏とその一族の家紋は「菱」で代表されている。

千羽千鳥(せんばちどり)
甲州南部郷の将、南部義光とともに
三戸に渡った染師蛭子屋三右エ門は、
海岸に群れ飛ぶ千鳥の美しさにみとれて、
その模様を型に彫ったものという。
南部古代型の独特な模様である。

南部萩(なんぶはぎ) 南部古代型の中でも最古の模様と思われる。
乱れ彫りの中に、線の流れの美しさがみられる
祝儀ばさみ
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/OT-03pic/OT-03003-01.html
ペンケース
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/OT-03pic/ot-03008-00.html
テーブルセンター
http://www.geocities.jp/hwfhb259/pic/OT-03pic/ot-03017-4.html
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