白河だるまの白河市は、わたしの住む黒磯からは、車で30分ほどのところにあります。
白河市は、かつては大きな街でした。
こどもの頃は、映画館もデパート(十字屋)もあり、そして、大きな縁日やお祭りもあって、なにかあると祖母等に連れられてバスで出かけた記憶があります。
両親とではなかったのは、農家だったからでしょうか。
父母は、いつも忙しくして働いていました。
とても、そのような楽しみの時間は、持てなかったのでしょう。
家計の実権を持つ祖父母とのつながりが、大きかったものと思います。
2月の11日は、だるま市です。
全国から大勢の方々が、この縁日に出かけてこられます。
昨年から、手仕事専科では、白河だるまをご紹介していますが、縁起ものだからでしょうか、いろいろなイベントでご利用いただいております。
販促品のノベルティであったり、記念式典イベントでだるま目入れに使われたりしています。
いずれも海外向けのものでした。
台湾や東南アジアや世界に向けたものでした。
実は、今回、昭和37年撮影の写真を佐川だるま製造所さんから、お借りいたしました。
現在は、白河だるまは、佐川だるま製造所と渡辺だるま店の2社になります。
ともにお取引をいただいておりますが、手仕事に関わる方々は、仕事に誇りをお持ちです。
そして、実に謙虚な方々が、多いように思います。
3回シリーズに分けて、ご紹介いたしますので、ご覧ください。
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
佐川だるま製造所 http://tesigotosenka.com/sirakawadaruma.html
渡邊だるま店 http://tesigotosenka.com/watanabedarumaseizousyo.html
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白河市は、かつては大きな街でした。
こどもの頃は、映画館もデパート(十字屋)もあり、そして、大きな縁日やお祭りもあって、なにかあると祖母等に連れられてバスで出かけた記憶があります。
両親とではなかったのは、農家だったからでしょうか。
父母は、いつも忙しくして働いていました。
とても、そのような楽しみの時間は、持てなかったのでしょう。
家計の実権を持つ祖父母とのつながりが、大きかったものと思います。
2月の11日は、だるま市です。
全国から大勢の方々が、この縁日に出かけてこられます。
昨年から、手仕事専科では、白河だるまをご紹介していますが、縁起ものだからでしょうか、いろいろなイベントでご利用いただいております。
販促品のノベルティであったり、記念式典イベントでだるま目入れに使われたりしています。
いずれも海外向けのものでした。
台湾や東南アジアや世界に向けたものでした。
実は、今回、昭和37年撮影の写真を佐川だるま製造所さんから、お借りいたしました。
現在は、白河だるまは、佐川だるま製造所と渡辺だるま店の2社になります。
ともにお取引をいただいておりますが、手仕事に関わる方々は、仕事に誇りをお持ちです。
そして、実に謙虚な方々が、多いように思います。
3回シリーズに分けて、ご紹介いたしますので、ご覧ください。
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
佐川だるま製造所 http://tesigotosenka.com/sirakawadaruma.html
渡邊だるま店 http://tesigotosenka.com/watanabedarumaseizousyo.html
昭和37年撮影 10代目佐川平吉 だるまの顔を描いています。 真剣な眼差しが、すべてを語っています。 |
現在当主の佐川明子さんの大叔母様に あたります。 大達磨の顔を描いています。 |
リヤカーにだるまをいれた 竹篭を積んでいます。 当時は、この竹篭が、運搬に使われていました。 今では、大きな段ボールで運びますが、 この竹篭もいくつかのサイズがあるといいます。 |
天秤棒でだるまを入れた竹篭を 運んでいます。 天秤棒は、我が家では、お風呂の水を 沢からバケツで運ぶのに使っていました。 こどものわたしには、 使いこなせませんでしたが。 |
だるま市の店先の風景です。 いくつものお店が、並んでいたといいます。 昭和の風景です。 近在の方々が、この賑わいと 買い物を楽しみに集まりました。 |
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