2016年9月30日金曜日

精麻をご存知ですか。vol001

手仕事専科で人気の工房に野州麻紙工房があります。
それは、大麻畑で収穫される大麻草から、作られる麻紙になります。
大森由久氏は、麻の生産農家でありながら、麻炭や精麻、おがら、そして麻紙を作られる一貫経営をなされています。栃木県の鹿沼(特に旧粟野町)は、麻の特産地です。全国の80%以上を生産しています。従来は、問屋があり、一手に精麻を買い上げて、市場に流通させていました。
大森氏は、日本麻協会の会長をされておられ、麻の復権と普及の活動をなされています。
手仕事専科のスタート時に県立博物館の元学芸部長であった柏村祐司先生から、ご紹介を得て、お取引ができました。
それまで、大麻草の知識は、殆どありませんでした。自宅の土蔵に麻の精麻があり、祖父から麻のことを聞いたくらいです。その頃は、麻の生産は、戦後のGHQの占領政策から一般農家では生産が禁止されていたものと思います。

麻の生産については、実に実に大変な作業です。
大森氏を初めとして、多くの方のご尽力でしょうか、精麻が、そして、精麻から作られる「波動の良い麻製品」が、ブームになりつつあります。
実に多くの商品が、お求めいただいております。
・大麻博物館  http://tesigotosenka.com/taimahakubutukann.html
・野州麻紙工房http://tesigotosenka.com/yasyuumasi.html#turi
・野州大麻   http://tesigotosenka.com/oonusa.html
・麻の葉工房    http://tesigotosenka.com/asanohakoubou.html

今回は、精麻が、できるまでの一部を画像にてご紹介いたします。


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2016年9月28日水曜日

思い出の世界旅行①

私の宝物に20代に経験した、世界ひとり旅があります。
大学を休学して1年の予定で計画したのですが、途中でお金がなくなり、スイスで働かざるをえませんでした。
それで、2年間となってしまいました。
金はないけれども時間はあるということで、随分と気ままな旅行となりました。
私の人間観は、その頃に培われました。
23歳という年齢から、また、経済大国の日本人であることから、西洋でも歓迎されました。
当時は、トヨタのカローラが、アウトバーンを走っていました。
正月は、スイスの教会で2週間ほど、泊めていただくことができました。
コレクトコールで、家族に電話することができました。
「茂から電話だよ。」
今は亡き母の声が、いまでも耳に残っています。
 
今となっては、また、同じ道程を歩くかと言われたら、「NO!」でしょうか。
それほどに危ないところを歩いてきました。
レバノンのベイルートでは、市街戦のまっ最中でした。
子供が、銃を持って、塹壕に立て籠もっていました。
そんな折に機関銃を突き付けられて、目隠しをしてジープに乗せられて、アジトに連行されました。
幸い、釈放されましたが、安易な自分が、恥ずかしく思い出されます。
同じく、イラクやイラン、アフガニスタンと紛争の最中でしたので、
いつ国境が閉鎖せれるかもわかりませんでした。
今では、宝物です。
スケッチは、おもにヨーロッパをヒッチハイクで移動していたときに車を拾う合間で、描いたものです。
トルコの羊飼いのおじさんと
一緒。


 
 
Esparsette
02.07.1974
BaverEiseneSchtein

07.08.1974
Bleiswuk
14.10.1974
Oberhofen
06.09.1974 スコットランド
CopelCurig
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2015年11月16日月曜日

驚きのTVの効果:南部箒

手仕事専科では、岩手県九戸町にある「高倉工芸」南部箒の工房をご紹介しています。
数年前に伊勢丹新宿店で高倉工芸の高倉清勝さんとご挨拶してからのお取引になります。ちょくせつ工房に訪ねましたが、自家製の箒もろこしを栽培されて、1からすべてを自前で行っていました。種まきから収穫・脱穀・乾燥と、そして、編上げです。
かつては、箒もろこしの生産者と作り手販売者は、すべてが、異なっておりましたが、それを一手に統合されています。

彼の経歴と私の経歴は、とても似ていました。
私は、前身は、農業の専門を学び、父が起業農業を行っておりましたで、先駆的な養豚や養鯉・養鰻を行い、その道では、かなり高度な農業技術を習得していました。
しかし、起業農業に必要な経営知識を持たないところから、事業は、破産いたしました。
尊敬する父の破天荒な人生に重なります。
一方の高倉さんも当時のお父上の事業に添い、農業大学を学び、養豚や幾多の事業を取扱いましたが、現在の南部箒の一貫生産に到達したと言います。
そして、高級品ということから、デパート等の催事で紹介と販売をされています。

2015.11.13(F)にTV東京の所ジョージの番組毎週金曜日夜9時「学校ではおしえてくれないそこんところ」で、南部箒が、取上げられました。
高倉さん自身が、出演して、南部箒をご紹介していますが、作り手の75歳の欠端タケさんのご紹介と実際に使われている方のインタビューでした。
13日の夜に南部箒のご注文が、殺到いたしました。
そして、現在でも続いています。
高倉さんの話では、
従来の1年間の売上に匹敵するご注文だと言います。そして、所さんの番組が、この後に地方局で放映されると、更に続くだろうとお話していました。
そこで、これから先のご注文は、1年以上先のお届けで、御注文を受けて下さいとことでした。
その際に、粗製乱造に走らないことをお話いたしました。

私のサイトでは、宮本工芸の網代編手提巻手は、6年以上先のご注文でお受けしております。
理由は、材料の山ぶどう皮の収穫は、八甲田山や岩木山の麓からですが、数量が限られていること。
取りすぎると翌年に影響が出てしまいます。
そして、それらの手篭をつくられる職人さんが限られていることです。
販売政策からいえば、中国産の山葡萄皮を手当てすることや職人さんを育成することも選択肢にあるのでしょうが、それは行いません。
一番の要因は、国産の山葡萄皮に拘り、職人さんの技術に拘り続けているからです。
かつて、明治の頃ですが、会津の焼物が、一世を風靡したことがありました。パリ博覧会でグランプリを受賞した時ですが、その後、他の地方でも何でも会津焼として作り、輸出をしました。
哀しいかな、粗製乱造です。
そのブランド力は、続きませんでした。

南部箒も一貫生産ですから、収量も限られています。
同時に、編上げられる人々も限られています。
けっして、待たせることは、致し方ありません。
年間の制作本数が、限られていますから、半年、1年以上先になります。
しかし、粗製乱造と言える商品は、末代までも禍根を残します。
信用は、一夜にしてはできませんが、信用をなくすことは、一時です。
写真で、箒もろこしからつくる南部箒をご紹介いたします。
2代目高倉清隆氏
初代高倉徳三郎氏
小箒 20,000円(税別)
小箒30,000円(税別)
箒もろこし
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2015年11月12日木曜日

TBS三宅裕司の「健康時間」(日曜日朝7時~)で日光下駄が、話題に!!



11月1日のTBSの日曜日朝7時からの「健康時間」の番組で、中禅寺湖の91歳になる方が、御紹介されていました。
物産店を現役で、切り盛りしているお婆ちゃんですが、彼女の健康の秘訣が、「日光下駄」だと言います。
その訳は、下駄が、健康に「背筋をまっすぐにして、歩くこと」に役立つからだと言います。
そのようなことから、私のwebciteの手仕事専科から、たくさんのご注文が相次ぎました。私自身は、直接見なかったのですが、友人が、”TVで日光下駄をやっているよ”と話してくれました。そして、”きっと注文が行くよ"とも。
四国や新潟、中部地方から、たくさんの方々から、電話でのお問合わせが、舞い込みました。ネットで調べて、メールではなく電話でのご注文です。
私のwebcite手仕事専科には、2つの工房が、掲載されています。
日光下駄山本政史工房と、倉田工房です。
お二人とも作風が、拘りが異なりますが、共通は、確りとした拘りの日光下駄をつくることです。バラエティに富み認知が、高いのが、山本政史さんの工房ですが、毎日、日光の木彫りの里で実演をしています。中村七之助氏の下駄や、皇太子殿下ご夫妻の実演等もこなされている方です。
そして、一方の倉田監さんは、派手さはありませんが、昔からの伝統的な下駄をつくり続けています。

今回のTV番組「健康時間」で、どうして日光下駄が、健康に良いのか?ですが。
1.下駄の履き方に理由があります。下駄の鼻緒に足の親指と人差し指で、浅く挟みこみ、決して、深く挟みこむことは、しません。下駄は、つま先から歩くことはしないからです。
浅く挟みこむことで、下駄のかかとから着くことになります。
そうすると、背筋が伸びることになります。
モデルさんや宝塚の女性達は、かかとでたちます。
背筋を伸ばし、腰をたてて、背筋が命になります。
それが、美しい立ち方だからです。
2.二枚歯の下駄は、少し内側に傾斜するようにしています。
脚の内捻筋を鍛えることになります。
体幹という言葉が、アスリートの間では、当たり前のことですが、身体能力は、体幹の力によると言います。下駄の二枚歯の形は、その力になります。
私の趣味は、社交ダンスですが、まさに体幹つくりと背筋つくりです。
その意味で、倉田さんの背筋を伸ばす作用については、合点でした。
3.草履は、吸湿性のすぐれた竹の皮を編んで作ります。
その季節に応じた竹皮の性質が、足の裏を刺激します。
足の裏は、脳神経を刺激し、健康に繋がるわけです。
・・・・・・・。
今回の日光下駄のブームともいえる人気は、次の要素も見逃せません。
倉田工房の倉田監さんと話していて、こんなことを言っていました。
・通常、TVで幾度か日光下駄が、取材されたことがあるけれども、今回のようなことは、ありませんでした。
旅番組や伝統工芸品としてご紹介しても、鳴かず飛ばずの反響だったと言います。
しかし、今回は、実にたくさんの方々からお問合わせやご注文を頂戴したと言います。
あるお客様は、朝、鬼怒川温泉の宿でTVを拝見して、その帰り足で倉田工房を訪ねて、購入されたと言います。
・キーワードは、「健康」「女性」だと言いました。
1割は、男性でしたが、残りの9割は、女性でした。
高齢化社会を迎えて、いかに「健康」が、求められているかが、分かります。
そして、「女性」の活力の旺盛さです。
ご家族の誰かにwebcite手仕事専科の日光下駄で検索してもらい、電話でご注文するパワーがあります。
「健康」志向は、「女性」が、キーになるのでしょう。
追加のご注文や日光下駄の受取りで、訪ねた際の写真をご紹介いたします。
中村七之助氏のもとめられた
右近型の日光下駄。
日光下駄山本政史
お話をされる間も手を休めることなく
作り続けています。
職人は、御注文があれば、休日はありません。
ないときが、休日ですと言っていました。

下駄に竹皮の草履を麻紐で縫いつけています。
これが、日光下駄の特色です。
倉田工房
倉田監さんは、二枚歯の下駄と草履型の下駄の
違いを教えてくれました。
いまでは、二枚歯は、デパートなどで滑るところから、
ゴム皮をつける右近型下駄に人気があると言います。
今回、御注文があった女性の方の白い鼻緒の二枚歯下駄です。
こちらの下駄をはいて、神社境内に上がられる予定とのことです。
すばらしい下駄でした。

--------------------------------隋想舎「下野の手仕事」より--------------------------------
日光下駄は、日光山の神域境内の履物として作りだされたものである。江戸時代神域境内に入るものは、草履に木の台をつけた「御免下駄」に履き替えたものであるが、この台木は、コの字型をした履きにくいものであったので、明治時代の中頃には、台木を普通の下駄に似た形にしたものが作れるようになり、この御免下駄の改良型がその後市民に愛用されるようになり「日光下駄」と称されるようになった。
  昭和40年代には、日光下駄職人の後継者不足が心配され、日光市では、後継者育成の積極的に図るようになったが、第一回目の研修生が山本政史さんと倉田監さんである。日光下駄という伝統文化継承の重みに耐えながらも見事日光下駄職人となった。
日光下駄の主な材料は、台木と草履に編む竹皮、鼻緒に用いる真綿木綿に野州麻などである。

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2015年9月10日木曜日

日光下駄と山本政史

手仕事専科には、日光下駄が、在ります。
日光下駄は、現在数人の職人さんがおいでですが、倉田監(くらたつよし)氏と山本政史氏です。
下野手仕事会という40年以上の歴史を持つ職人の会が栃木県には、在ります。
元栃木県立博物館の初代学芸部長の尾島先生が顧問として、お作りになられた会です。
その尾島先生もこの2月に逝かれました。
”巨星落つ”です。
手仕事専科をスタートさせる際に先立って、下野手仕事会の新年会にご挨拶で参加しましたが、その際に彼を知りました。
長いお付き合いになりますが、いつ会っても黙々と日光下駄のことを語り、作り続けておられます。
下野の手仕事の紹介のビデオがあります。
この中で、山本氏は、日光下駄をこのように述べています。
(日光下駄をつくる際に常に考えていること。)
1.履き心地が良い。
2.耐久性が良い。
(日光下駄の良さ)
・竹の子の皮でつくる。
・草履でつくって、麻糸で縫いつける。
・手作り品であり。

日光下駄です。
日光下駄後丸型染竹皮
右近型焼
鼻緒麻
 
右近型染竹皮焼
制作中の
日光下駄山本政史氏

--------------------------------隋想舎「下野の手仕事」より--------------------------------
日光下駄は、日光山の神域境内の履物として作りだされたものである。江戸時代神域境内に入るものは、草履に木の台をつけた「御免下駄」に履き替えたものであるが、この台木は、コの字型をした履きにくいものであったので、明治時代の中頃には、台木を普通の下駄に似た形にしたものが作れるようになり、この御免下駄の改良型がその後市民に愛用されるようになり「日光下駄」と称されるようになった。
  昭和40年代には、日光下駄職人の後継者不足が心配され、日光市では、後継者育成の積極的に図るようになったが、第一回目の研修生の一人が山本政史さんである。日光下駄という伝統文化継承の重みに耐えながらも見事日光下駄職人となった。
日光下駄の主な材料は、台木と草履に編む竹皮、鼻緒に用いる真綿木綿に野州麻などである。

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2015年8月12日水曜日

一輪挿し・彩手毬(津軽びいどろ)の紹介

津軽びいどろは、青森県の伝統工藝ですが、北洋硝子㈱の硝子器です。
手仕事専科で、ご紹介しています。
津軽半島の西側に広がる、七里長浜の砂から作られた「津軽びいどろ」は、紀元前一世紀頃から受け継がれてきた「宙吹き」の技法で流麗なガラスの美を創りあげてきました。
1500度で原料を溶融し、成形温度1200度という灼熱の中で、どろどろに溶けたガラスを吹きざおに巻き取り、息を吹き込んで膨らませます。
上下左右にさおを振り、形を整え、熟練した職人たちの手によって、ガラスという素材に命が吹き込まれていくのです。みちのくの豊かな自然に育まれ伸びやかな美しさをもつ「津軽びいどろ」ガラス独特の色合いと、手づくりならではの柔らかな形は、日本の暮らしによく似合います。
青森県より伝統工芸品の指定を受けた、確かな伝統の技と、自由で個性的なデザインです。
津軽びいどろの色と形をみると、津軽人独特の感性を感じます。
夏の一瞬に弾ける「ねぶた・ねぷた」もその一つですが、代表的な版画家棟方志巧、そして、津軽塗の漆器、こぎん刺しなど、古くは、縄文時代からつづく美的感性につながるように感じます。
今回、津軽びいどろのページの商品入れ替えをおこないましたが、逸品をご紹介いたします。
彩手毬です。
--彩手毬--それは、一輪挿しですが、織りなす四季の移ろいを彩り鮮やかに散りばめました。
硝子の厚みで光を閉じ込め、色を反射します。
小さな花にあう、手のひらサイズの花入れです。

写真で御紹介します。
彩手毬--弥生
彩手毬-海風
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