2015年11月12日木曜日

TBS三宅裕司の「健康時間」(日曜日朝7時~)で日光下駄が、話題に!!



11月1日のTBSの日曜日朝7時からの「健康時間」の番組で、中禅寺湖の91歳になる方が、御紹介されていました。
物産店を現役で、切り盛りしているお婆ちゃんですが、彼女の健康の秘訣が、「日光下駄」だと言います。
その訳は、下駄が、健康に「背筋をまっすぐにして、歩くこと」に役立つからだと言います。
そのようなことから、私のwebciteの手仕事専科から、たくさんのご注文が相次ぎました。私自身は、直接見なかったのですが、友人が、”TVで日光下駄をやっているよ”と話してくれました。そして、”きっと注文が行くよ"とも。
四国や新潟、中部地方から、たくさんの方々から、電話でのお問合わせが、舞い込みました。ネットで調べて、メールではなく電話でのご注文です。
私のwebcite手仕事専科には、2つの工房が、掲載されています。
日光下駄山本政史工房と、倉田工房です。
お二人とも作風が、拘りが異なりますが、共通は、確りとした拘りの日光下駄をつくることです。バラエティに富み認知が、高いのが、山本政史さんの工房ですが、毎日、日光の木彫りの里で実演をしています。中村七之助氏の下駄や、皇太子殿下ご夫妻の実演等もこなされている方です。
そして、一方の倉田監さんは、派手さはありませんが、昔からの伝統的な下駄をつくり続けています。

今回のTV番組「健康時間」で、どうして日光下駄が、健康に良いのか?ですが。
1.下駄の履き方に理由があります。下駄の鼻緒に足の親指と人差し指で、浅く挟みこみ、決して、深く挟みこむことは、しません。下駄は、つま先から歩くことはしないからです。
浅く挟みこむことで、下駄のかかとから着くことになります。
そうすると、背筋が伸びることになります。
モデルさんや宝塚の女性達は、かかとでたちます。
背筋を伸ばし、腰をたてて、背筋が命になります。
それが、美しい立ち方だからです。
2.二枚歯の下駄は、少し内側に傾斜するようにしています。
脚の内捻筋を鍛えることになります。
体幹という言葉が、アスリートの間では、当たり前のことですが、身体能力は、体幹の力によると言います。下駄の二枚歯の形は、その力になります。
私の趣味は、社交ダンスですが、まさに体幹つくりと背筋つくりです。
その意味で、倉田さんの背筋を伸ばす作用については、合点でした。
3.草履は、吸湿性のすぐれた竹の皮を編んで作ります。
その季節に応じた竹皮の性質が、足の裏を刺激します。
足の裏は、脳神経を刺激し、健康に繋がるわけです。
・・・・・・・。
今回の日光下駄のブームともいえる人気は、次の要素も見逃せません。
倉田工房の倉田監さんと話していて、こんなことを言っていました。
・通常、TVで幾度か日光下駄が、取材されたことがあるけれども、今回のようなことは、ありませんでした。
旅番組や伝統工芸品としてご紹介しても、鳴かず飛ばずの反響だったと言います。
しかし、今回は、実にたくさんの方々からお問合わせやご注文を頂戴したと言います。
あるお客様は、朝、鬼怒川温泉の宿でTVを拝見して、その帰り足で倉田工房を訪ねて、購入されたと言います。
・キーワードは、「健康」「女性」だと言いました。
1割は、男性でしたが、残りの9割は、女性でした。
高齢化社会を迎えて、いかに「健康」が、求められているかが、分かります。
そして、「女性」の活力の旺盛さです。
ご家族の誰かにwebcite手仕事専科の日光下駄で検索してもらい、電話でご注文するパワーがあります。
「健康」志向は、「女性」が、キーになるのでしょう。
追加のご注文や日光下駄の受取りで、訪ねた際の写真をご紹介いたします。
中村七之助氏のもとめられた
右近型の日光下駄。
日光下駄山本政史
お話をされる間も手を休めることなく
作り続けています。
職人は、御注文があれば、休日はありません。
ないときが、休日ですと言っていました。

下駄に竹皮の草履を麻紐で縫いつけています。
これが、日光下駄の特色です。
倉田工房
倉田監さんは、二枚歯の下駄と草履型の下駄の
違いを教えてくれました。
いまでは、二枚歯は、デパートなどで滑るところから、
ゴム皮をつける右近型下駄に人気があると言います。
今回、御注文があった女性の方の白い鼻緒の二枚歯下駄です。
こちらの下駄をはいて、神社境内に上がられる予定とのことです。
すばらしい下駄でした。

--------------------------------隋想舎「下野の手仕事」より--------------------------------
日光下駄は、日光山の神域境内の履物として作りだされたものである。江戸時代神域境内に入るものは、草履に木の台をつけた「御免下駄」に履き替えたものであるが、この台木は、コの字型をした履きにくいものであったので、明治時代の中頃には、台木を普通の下駄に似た形にしたものが作れるようになり、この御免下駄の改良型がその後市民に愛用されるようになり「日光下駄」と称されるようになった。
  昭和40年代には、日光下駄職人の後継者不足が心配され、日光市では、後継者育成の積極的に図るようになったが、第一回目の研修生が山本政史さんと倉田監さんである。日光下駄という伝統文化継承の重みに耐えながらも見事日光下駄職人となった。
日光下駄の主な材料は、台木と草履に編む竹皮、鼻緒に用いる真綿木綿に野州麻などである。

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