手仕事専科では、既に白河だるまと取扱っております。
それは、佐川だるま製造所ですが、しかし、もう一社、渡辺だるま店が、御座います。どちらも長い歴史を持つ、そして、それぞれにお顔も異なるだるまですが、その達磨に賭ける情熱は、同じものを感じています。それが、松平公のおひざ元のだるま職人と言えるのでしょうか。
だるまといえば、高崎だるまが、一大産地になります。全国の製造量の80%を占め170万個を製造すると聞きます。他には、松川だるま(仙台)、越谷だるま(武州だるま)、東京だるま、相州だるま、鈴川だるま、姫だるまなど、多くの産地があるようです。
白河だるまは今から約300余年前、当時の白河城主丹羽長重公に始まり、後年の小峰城主でその名も有名な松平定信楽翁校が城下の繁栄を強く願い、当家先祖に楽翁公直々の名により谷文晁の図案とお墨付きを路金とともに頂き、はるか京へ「だるま」修行の命を受けて出立したと言います。修行のあかつき眉毛は、蔓、髭は亀、耳髭は、松と梅、顎髭は竹を表して、帰京したと言い伝えられています。また、文政6年(1823年)も横町絵図に、旧奥州街道沿いの横町で現在もだるま製造業を営む渡邊だるま店の住居、作業所がある位置に「瓦作金七」の名が確認されていることから、この人物が白河だるまと大きく関っている可能性が高いとされています。白河だるまはあごひげが長いのが特徴。厄除けと家内安全の利益がある赤だるまと海運の利益がある白だるまが作られている。年間15万個が生産されていると言います。
現在の白河だるま製造の佐川だるま製造所と渡邊だるま店とは、向かい合って営んでいます。この度、渡邊だるま店のhpを製作いたしましたが、より企業的な取り組みをされています。昨年の夏には、某大手の化粧品会社の海外向けのノベルティとして、2000個もの起上り小法師を製作いたしました。入念に打合せを行い、お客様にお喜びいただきました。アメリカや東南アジア、ヨーロッパ店舗の販促品ですが、手仕事専科からの物が、世界にお届けできていることに喜びを感じています。今年は、さらに多くのお客様に喜びを届けたいと考えいます。
○イベントだるまです。 記念のだるまを作るのは、容易です。 一般だるまと、それほどに費用は、変わりません。 |
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