2018年5月25日金曜日

万両べこ--赤べこ伝説(虚空蔵堂の建立)

会津には、会津三縁起として、起上り小法師、初音、風車が、あります。
いずれも手仕事専科でご紹介しています。
昔から正月に神棚に飾り、一家の繁栄(はんえい)と家族みんなの健康・安全を祈るものとして受け継がれてきました。今でも会津では、新年の初市に必ずといっていいほど買い求め、一年間の家内安全(かないあんぜん)無病息災(むびょうそくさい)を祈ります。

もう一つ、会津には、赤べこがあります。
いまでは、赤べこをつくる工房がいくつかありますが、会津で初めて赤べこを作りはじめたのは、(有)荒井工芸所です。
(有)荒井工芸所の赤べこは、昭和天皇皇后両陛下が、お買い求めになり、1961年年賀切手にも採用されて全国に知られるまでになりました。
手仕事専科では、お取引工房として人気ですが、この度大きな御注文を頂戴しました。
福島県の動物薬会社では、昔から赤べこに商品名を書いて、お客様へのお土産にしていました。そして、時おり「赤べこ」のご注文をいただいていたのですが、この夏に北海道で大きな国際学会があり、そちらで、「赤べこ」を使うことになりました。
今回、御縁があり御注文となりましたが、感謝です。

工房は、家内工業です。
職人と言いますが、現在は、荒井啓安氏が当主で息子の政弘さんが、継いでいます。
ご先祖は、会津藩士の下級武士の家柄、明治維新後に陸奥の斗南藩より戻り、会津漆器の生地づくりの職人として生計を立てていました。木地師を営む傍ら張子を作り続けました。当主の啓安氏は、五代目として家業を引き継、張子職人となりました。
会津は、戊辰戦争では、賊軍として敗れましたが、明治新政府のもと斗南藩では、それはそれは、苦労したと言います。
斗南藩は、戊辰戦争に敗れ領地を没収された会津藩が明治2年(1869年)11月に再興を許された藩です。翌年4月から旧藩士らが移住を開始したが、寒冷地の過酷な自然条件の中で苦しい生活を強いられました。
その後、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で斗南県となり、さらに9月に青森県に編入され、わずか2年足らずで斗南藩は消滅してしまいました。
会津の旧藩士らは、その後に会津に戻ってきたわけです。
(赤べこ伝説)
今から四百年ほど前の1611年に会津地方を襲った大地震で柳津も大被害を受け、虚空蔵堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出ました。その後の1617年に初めて虚空蔵堂(本堂)は現在の巌上に建てられたました。
本堂再建に使われた大材は、只見川上流の村々からの寄進を受け、只見川を利用して運ばれましたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、仏のお導きか、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空蔵堂を建てることができたのです。
赤毛の牛の群れはなぜか虚空蔵堂の完成を待たずにいずこへともなく姿を消したと言われ、後に大材を運んでくれた牛に 感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」であり、一生懸命手伝った赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、忍耐と力強さが伝わりさらには福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれるようになりました。(福島県柳津町HPより)
その後も、この赤べこは、会津地方で伝染病が流行した時、赤べこを持っていた人が、病気にかからなかったということで、災難をよけたり、願いを叶えたりと縁起物のお守りとして有名になりました。
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